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浮世絵展レポート1 2004年度~2010年度

問い合わせ番号:14867-0258-7978 登録日:2015年1月12日

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企画展一覧

企画展一覧

会期

市所蔵浮世絵展「浮世絵からひもとく江戸の風景 ~江戸の名所と庶民の暮らし~」 2010年2月25日~28日

市所蔵浮世絵展「新春浮世絵『源氏絵』展」

2009年1月3日~12日

市所蔵浮世絵展「浮世絵とたばこ歴史展」

2008年9月23日~28日

市所蔵浮世絵展「木曽街道六十九次」

2007年7月3日~19日

市所蔵浮世絵展「広重の描く東海道」

2007年3月27日~4月1日

市所蔵浮世絵展「夏の風物詩」

2005年8月10日~21日

~先人たちの足跡を訪ねて~秦野たばこ展

2004年9月22日~26日

下園功の創作人形展

2004年8月17日~25日

市所蔵浮世絵「三代目豊国役者絵展」

2004年6月23日~7月4日

市所蔵浮世絵展「浮世絵からひもとく江戸の風景 ~江戸の名所と庶民の暮らし~」

2010年2月25日~28日

浮世美人合 俄曰和のせんたく
『浮世美人合 俄曰和のせんたく』
歌川国貞(三代豊国)

江戸名所百人美女 人形町
『江戸名所百人美女 人形町』
歌川国貞(三代豊国)

館内の様子
館内の様子

展示の様子

2010年2月25日~28日に秦野市所蔵浮世絵による「浮世絵からひもとく江戸の風景 ~江戸の名所と庶民の暮らし~」展が開催されました。

本展では、江戸に暮らす人々の活気に満ちた姿や、隅田川や日本橋といった江戸の名所、相撲や歌舞伎、花見などの娯楽が描かれた作品を中心に37点の展示が行われました。

来館者からは、「江戸時代の庶民の気持ちが味わえた」、「江戸の賑わいが聞こえてくるようだ」といった声が聞かれ、作品から情緒溢れる江戸の面影を感じていただくことができました。

  • 会期 2010年2月25日(木曜日)~28日(日曜日)
  • 観覧者数 209名

市所蔵浮世絵展「新春浮世絵『源氏絵』展」

2009年1月3日~12日

雪月花之内はな
「雪月花之内はな」(三代歌川豊国)

2009年1月3日~12日に秦野市所蔵浮世絵による新春浮世絵「源氏絵」展が開催されました。

「源氏絵」と聞くと『源氏物語』を思い浮かべるかもしれません。しかし浮世絵における源氏絵とは、その多くが草双紙『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』を題材として描かれた浮世絵を指します。

この『偐紫田舎源氏』は江戸時代後期、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が源氏物語を下敷きに舞台を室町時代に移して翻案し、三代歌川豊国(初代国貞)が各ページに挿絵をつけ、大ベストセラーとなりました。

江戸に源氏ブームを起こした『偐紫田舎源氏』。美しい着物、豪華な品々に囲まれた女性たちが描かれた源氏絵は、庶民の目にどう映ったでしょう。物語は歌舞伎で上演されるようにもなり、源氏絵に描かれるファッションがそのまま当時の流行となったといわれます。

今展では、一部作品に沿った『偐紫田舎源氏』のあらすじを紹介するとともに、見るも艶やかな源氏絵28点(内20点は3枚続)を展示いたしました。来場者からは「源氏物語とはまた少し趣の異なる世界に、とても興味がわきました」 、「版画とは思えないほどの着物や人物の表情の繊細な表現に驚きました」、「新春にふさわしい華やかな作品だった」などといった声が聞かれました。

  • 会期 2009年1月3日(土曜日)~12日(月曜日・祝日)
  • 観覧者数 555名

市所蔵浮世絵展 「浮世絵とたばこ歴史展」

2008年9月23日~28日

懐かしのたばこパッケージ
懐かしのたばこパッケージ

館内の様子
館内の様子

趣旨文より

浮世絵には時にたばこのある風景が描かれています。とは言え、花魁が物憂げに煙管を持つ姿、役者が芝居の小道具として煙管を使用したポーズ、また庶民が旅の途中で一服する様子など、そのシーンによってたばこの持つ意味はまったく違います。これら浮世絵から、江戸時代における日本人とたばことの関係を見ることができます。

また資料からは、明治以降のたばこにまつわる様々な環境の変化を見てとることができます。刻みたばこを煙管で吸うスタイルから紙巻たばこへの移行。販売も民営から専売へ、また戦後の復興、高度成長期を経て専売から民営へ。パッケージなどもすっかり洋風化しました。

本展では、秦野市所蔵浮世絵(故大津圓子氏より寄贈)の中から約
20点と、たばこ資料(安本利正氏より寄贈)の中から約50点を同時に展示し、たばこが日本に伝来してから人々と共に歩んできた日本独自のたばこ文化をご覧頂きました。来館者からは「懐かしい」「昔のたばこパッケージなどが興味深い」といった声が多く聞かれました。

  • 会期 2008年9月23日(火曜日・祝日)~28日(日曜日)
  • 観覧者数 266名

市所蔵浮世絵展 歌川国芳「木曽街道六十九次」

2007年7月3日~19日

7月3日(火曜日)~19日(木曜日)まで、市民ギャラリーにて市所蔵浮世絵展が開催されました。

歌川国芳『木曽街道六十九次』は、中山道を浮世絵によって描いた数少ない揃物(シリーズ)の一つです。歌川広重『東海道五十三次』に見られるように、街道をテーマとした作品の多くが風景画であるのに対し、こちらは各宿場名などにちなむ歴史・物語上の人物を洒落や風刺とともに描いた一味違う作品となっています。「板鼻」宿には、牛若丸に「鼻」を打たれて「いた」がる烏天狗が描かれ、「武佐」宿には宮本「むさし」が描かれるといった具合に、宿と人物の関係が一種の謎解きのようでもある興味深い揃物です。

本展では、木曽街道の始点.日本橋から終点.京都にいたる71点と目録1点の全作品を前期・後期に分けて展示しました。また本揃物と同時期に制作された美人画2点と、迫力ある武者絵2点もあわせてご覧いただきました。

“武者絵の国芳”との異名を得た江戸時代後期の絵師、歌川国芳によって力強く描かれた人物、緊張感あふれる画面、隅々にまで散りばめられたたっぷりのユーモア。国芳らしさが凝縮されたかのような逸品の数々を前に、会場からは「江戸の人々の感覚が伝わってくるようだ」「浮世絵がこんなに楽しいものだったなんて」といった声が聞かれました。

秦野市が所蔵する浮世絵2000点は、平成10年に本市東田原出身の浮世絵収集家・故大津圓子氏から寄贈を受けたものです。

  • 会期
    前期:2007年7月3日(火曜日)~11日(水曜日)
    後期:2007年7月12日(木曜日)~19日(木曜日)
  • 総観覧者数 534人(前期347人、後期187人)

市所蔵浮世絵展 「広重の描く東海道」

2007年3月27日~4月1日

東海道五十三次之内
東海道五十三次之内(保永堂版)
小田原 酒匂川

 東海道五十三次之内
東海道五十三次之内(狂歌入東海道)
小田原

館内の様子
館内の様子

趣旨文より

浮世絵は、元禄期より少し前、菱川師宣によって、初めて木版画(黒摺絵)が製作されました。それまでは大名や金持ちのためにあった絵画に対して、庶民のための絵画として安価な浮世絵が売り出されました。その後、鈴木春信によって、多色刷り木版画(錦絵)が開発され、浮世絵は、錦絵と呼ばれるようになり、美人画、役者絵、名所絵の三分野を中心にして発展してきました。

名所絵の第一人者である歌川広重は、多くの東海道を描いており、その数は20種類以上にのぼるといわれています。広重の東海道といえば、37歳のときに製作した保永堂版が有名ですが、今回は、狂歌入東海道五十三次、56枚を一同に展示しています。これは、文字通り絵柄の横に狂歌が書き込まれたシリーズであり、広重の中年後期(1840~1842年 天保11~13年)の代表作として評価されているものです。

一般に広重の風景画は、風景の描写であると同時に風俗画であるとも言われますが、このシリーズでは宿場や茶屋などの全容図が多いのが特徴です。小さいながらも必ず人物が描かれ、旅先での情緒が表現されています。構成は東海道五十三次に江戸1枚と京都の2枚を加えた56枚と(に)なっており、狂歌師55人による56首の狂歌があしらわれています。

本展では、狂歌入東海道に加え、若干でありますが、代表作である保永堂版の他、隷書版、行書版や、同門である歌川国貞との共作である双筆五十三次なども展示しておりますので、しばし江戸時代の東海道の旅をお楽しみ下さい。

  • 日時 2007年3月27日(火曜日)~4月1日(日曜日)
  • 入場者数 346人 

市所蔵浮世絵展 「夏の風物詩」

2005年8月10日~21日

木曾街道六十九次之内
『木曾街道六十九次之内』
歌川国芳

江戸名所道戯盡十三
『江戸名所道戯盡十三』

江戸名所両国花火
『江戸名所両国花火』

夏の風物詩と聞いて何を思い浮かべますか?-スイカ、花火、せみしぐれ朝顔、そして怪談話。まだまだあります。団扇、浴衣に盆踊り。それで少し時をさかのぼって想像してみてください。江戸時代の夏はどのようなものだったのでしょうか。

江戸中期から明治にかけて花開いた浮世絵は、当時の大衆文化であり、同時に風俗や話題を紹介するメディアの役割を持っていました。そんな浮世絵をのぞいてみると、江戸庶民の夏の風景が見えてきます。

本展では、本市が所蔵する浮世絵2000枚の中から、三代目歌川豊国や歌川広重らが描いた美人画や風景画のほか、歌舞伎役者らの死去に際して訃報と追善を兼ねて描かれた「死絵」や源氏物語を題材とした「源氏絵」、歌川国芳の洒落の利いた『木曽街道六十九次之内』など貴重な浮世絵も展示しました。

朝顔をめでる庶民、夏祭り、役者絵、幽霊など夏にちなんだ35点が多くの浮世絵ファンの目を楽しませていました。

  • 会期 2005年8月10日(水曜日)~21日(日曜日)
  • 観覧者数 714人

~先人たちの足跡を訪ねて~ 秦野たばこ展

2004年9月22日~26日

秦野の隆盛に深いかかわりを持ってきた「たばこ栽培」。江戸時代初期に始まった秦野たばこは、「薩摩煙草は天候で作り、秦野煙草は技術で作る。水府煙草は肥料で作り、野州煙草は丹精で作る」と産地を歌った歌にあるように、人々の熱心な努力と高い耕作技術に支えられて発展しました。 

昭和59年300年以上にわたり続いたたばこ栽培は幕を閉じましたが、耕作者の慰安から始まった「秦野たばこ祭」は、市民の祭へと形を変え、今年も9月25日と26日に開催しました。

宮永岳彦記念美術館では、先人たちの情熱を引き継ぐ秦野たばこ祭の開催に合わせて、秦野市が所蔵する「たばこ」にかかわる資料を展示し、たばこ栽培と歩んできた秦野の歴史を紹介しました。

  • 会期 平成16年9月22日(水曜日)~26日(日曜日)
  • 観覧者数 329人

秦野たばこの歴史

秦野地方のたばこ栽培は、江戸時代初期に始まり「波多野(秦野)たばこ」あるいは「相模たばこ」と称され、明暦年間(1655年頃)には売買されていたといわれています。秦野地方でたばこ栽培が増えてくるのは、宝永4(1707)年の富士山の噴火以降で、降灰の被害で荒廃した土地でも栽培が可能であったため、徐々に増えていったと考えられます。天保12(1841)年に編さんされた「新編相模国風土記稿」には、秦野たばこの品質の良さが紹介されています。

幕末から明治にかけて喫煙習慣が一般の人々におよび、江戸や横浜、八王子などの需要が増大したため、秦野たばこは飛躍的に発展しました。明治に入ってからは、草山貞胤による「正条密植法」「木枯らし法」「水車機械きざみ」など技術革新が進み、全国的に有数の産地となりました。明治32年秦野に煙草試験地が開設されると、関野作次郎が考案した「秦野式改良揚床」や「煙草種子点播器」など秦野たばこの耕作技術を習得するために人々が集まり、講習を受けた人々が全国のたばこ生産地へと赴き、日本のたばこ栽培技術を高めていきました。

年間通じてのたばこ栽培

明治から昭和にかけてのたばこ作りは、年明けの苗床作りに始まり、播種(種まき)、間引き、本畑への移植、春から夏は施肥、土寄せ、芯止め、芽かき、夏から秋は収穫、乾燥、葉のし、年末の専売局への納入、といったように1年中作業が続きました。

たばこ栽培の終焉

明治に入り欧米化の波を受け、外国たばこの種が輸入され「黄色種」の栽培が始まりました。日本中が黄色種栽培に転換されていく中、秦野では昭和の初めまで従来の在来種上級葉たばこの生産が守り続けられました。しかし、昭和10年以降になると、労力のかかる在来種「秦野葉」から黄色種栽培に徐々に転換していきました。  そして、昭和49年には「秦野葉」の耕作が中止され、昭和59年11月には300年以上続いた秦野のたばこ栽培は幕を閉じました。

たばこの風俗

たばこが日本へ伝来して間もなく、慶長年間には茶道や香道のような喫煙作法が行われていたと伝えられています。
江戸時代には、喫煙の習慣が広まるにつれ各階層や職業に見合った喫煙具が用いられました。煙草盆や煙管(きせる)などの素材や形からその一旦を垣間見ることができます。

また、歌舞伎や浮世絵などでも喫煙具が、動きや画面構成の上から重要な小道具であったことがわかかります。< 特に役者絵では、役者と喫煙具がその立場を表す場合がありました。嫌な相手には煙を吹きかけたり、たばこを吸うことにより相手との間合いを図ったり、様々な役割を果たしています。これは芝居の中ばかりではなく、現実に喫煙具が一つの文化を形作り、演じていたことの証でもありました。

下園功の創作人形展

会期終了:2004年8月17日~25日

館内の様子
館内の様子

秦野市民で、30年以上のキャリアを持つ人形師・下園 功氏。これまで手掛けた文楽や腹話術人形、片手遣いのギニョール、マリオネット、時計人形など30体を紹介する「下園功の創作人形展」を開催しました。

見る人の心を写し取り、見る人それぞれに表情を変えて語りかける人形たち。観覧者は人形たちのささやきに耳を傾けながら、人形師が創り出す「摩訶不思議」な世界を楽しんでいました。

  • 会期 2004年8月17日(火曜日)~25日(水曜日)   注:6月23日は休館
  • 観覧者数 497人

創作人形師・下園 功 (しもぞの・いさお)

昭和16年に福岡県生まれる。高校卒業後、画家を目指して上京。都内の美術学校に通いながら人形劇団でアルバイトをしたのが、この道を歩む契機となった。

昭和36年人形劇団「テアトル・プッペ」に研究生として入団。その後、人形劇団「エコール・ド・プッペ」を設立し、小・中学校などを中心に全国各地で公演活動を行う。劇団解散後、本格的な人形制作の道に入る。

昭和49年に秦野市民となる。以来、アマチュア劇団やサークルで腹話術や人形劇、語り芝居などの指導にあたるとともに、創作人形師として活躍。腹話術人形をはじめ、マリオネット、文楽人形、創作人形など数多くの作品を世に送り出している。

関連イベント

ダンボールアート

講座の様子

8月18日(水曜日)、ダンボールを使っての動く人形作りを開催しました。幼稚園児や小学生など31人の参加者は、講師の下園氏の優しく楽しい指導で、色紙に彩られたダンボール人形を完成させました。

人形劇と語り芝居

人形劇の様子

語り芝居の様子

人形に囲まれながら人形劇などの楽しさを味わってもらおうと、8月21日(土曜日)に開催。第1部は、秦野人形劇の中心的な存在の黒田隆子氏が率いる劇団「黒田隆子と仲間の会」が、親子で楽しめる「魔法のもり」を上映しました。

第2部は、30年前に下園氏が演じ始めた「語り芝居」。下園氏の師事を仰ぐ、冨田有美氏と黒田隆子氏がオリジナル作品をそれぞれ演じました。観客40人は、言葉と表情で演じる一人芝居に魅せられた様子でした。

ギャラリートーク

ギャラリートークの様子

8月22日(日曜日)、下園氏が展示作品を解説する「ギャラリートーク」に、33人が参加しました。

作品解説では人形劇用人形やマリオネットを操りながら説明。また、顔人形は必ず人形自身の経歴を考え、それをイメージし形作っていくなど制作の裏話を披露しました。さらに、劇団設立やNHKの仕事仲間だった辻村ジュサブロー氏など多くの人形作家との交友録や、3千体以上の腹話術人形を世に送り出したことなど、「人形への浪漫」を求め歩んできた半生をユーモア溢れた口調で語りました。

市所蔵浮世絵 「三代目豊国役者絵展」

会期終了:2004年6月23日~7月4日

當世立衆見立五節句
當世立衆見立五節句
若駒の春五郎

秋作 若菜姫
秋作 若菜姫
中村芝翫 沢村田之助

本年5月、歌舞伎役者の市川新之助が十一代目市川海老蔵を襲名しました。初代市川團十郎の幼名であった海老蔵の名は、二代目が初めて芸名として名乗り、以後團十郎の前名あるいは後名として名乗られた由緒ある名跡でした。そして、江戸歌舞伎の名門市川家(成田屋)の團十郎と海老蔵の名が同時代に存在するのは、150年ぶりという歴史的な出来事です。

歌舞伎界の新しい幕開けを予感させる名跡襲名にちなんで、美術館企画展として、両役者が同時に活躍した江戸末期の人気浮世絵師・三代目歌川豊国が描いた役者絵を紹介しました。

展示作品は、秦野市が所蔵する浮世絵2000枚の中から厳選した役者絵51点。観覧者は、芸質を見事に描出した躍動感あふれる役者姿から「粋」で多彩な江戸文化を楽しんでいました。

  • 会期 2004年6月23日(水曜日)~7月4日(日曜日)   注:6月28日は休館
  • 観覧者数 700人

三代目歌川豊国(初代歌川国貞) 天明6~元治元(1786~1864)年

本名角田庄蔵、十代なかばで、初代歌川豊国の門に入り、国貞と称した。文化4(1807)年から浮世絵画壇に出て、美人絵や役者絵で活躍。躍動感あふれる役者似顔絵で名をなし、庶民感覚にあふれた生活の匂い立ち込める美人絵は、当時の世相に迎えられて流行を見た。作画量は絵師中、随一を誇る。

最晩年まで作画した役者絵は、師豊国の様式を継承しながら、師を凌駕し清新な様式美を作り出した。嘉永6(1853)年発刊の江戸の著名人や名物の位置付けした『江戸寿那古細撰記』に「豊国にかほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」とあり、当時の人々は「役者絵の豊国」「(役者似顔絵の)名人豊国」と呼んだ。

文政8(1825)年に、初代豊国が没した後は、実質的な歌川派の総帥として君臨、天保15(1844)年に二代豊国を襲名した。しかし、初代豊国の没後間もなく養子の豊重が二代目を名乗っているので、実際は三代目に当たる。画号は、国貞、豊国のほか、五渡亭、一雄斎、月波楼、琴雷舎、香蝶楼、一陽斎、喜翁など数多い。

関連イベント

ギャラリートーク

6月24日(木曜日)に国際浮世絵学会常任理事の新藤 茂氏が展示作品を解説しながら、歌舞伎の面白さを紹介しました。参加者30人は、豊国の著名な研究者の新藤氏の分かりやすい説明と、歌舞伎の豊富な知識に大満足の様子でした。

記念講演

記念講演の様子

企画展のフィナーレを飾る記念講演は、7月4日(日曜日)に開催しました。 参加者は市内をはじめ県外の浮世絵マニア40人。講師の新藤 茂氏からは、歌川画法の完成者である三代豊国の優れた画業や、当時の世相を描出する浮世絵から江戸歌舞伎の華やかな世界について説明がありました。

 

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 文化振興課 文化交流担当
電話番号:0463-86-6309

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