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信仰

問い合わせ番号:10010-0000-4150 登録日:2012年2月7日

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 大山講と先導師の家

大山道の道しるべ

伊勢原市にある大山は、古くから信仰の対象とされてきました。秦野には、この大山をお参りする人々が通った大山道があり、今でも当時の道しるべが残っています。

この道筋の蓑毛には、宿屋や茶店があり利用客で賑いました。また、先導師という人がいて、大山をお参りする人々の道案内をしたり、先導師の家が宿屋でもあったので、これらの人々の接待もしました。

大山へお参りするには、蓑毛からと大山町(今の伊勢原市)からとがあり、蓑毛の先導師は小田原・松田・山北方面からの人々を中心にもてなし、大山町の先導師は江戸や鎌倉方面からの人々をもてなしました。

 富士講

日本一高い富士山も大山と同じように、古くから人々の信仰の対象となりました。富士山をお参りした人は、「片参り」(富士山か大山の一方だけお参りすること)ではいけないといって、大山にもお参りしました。ですから、富士山と大山とは大変関係の深い山でした。

秦野では、西大竹・今泉・八沢などの地区に富士講があり、富士参りをしていました。その講中によって建てられた碑が今も市内の各所に残されています。

 地蔵講

延命地蔵

秦野の地蔵信仰は、ほとんどが板橋(小田原)の地蔵さんと鶴巻地区の落幡にある延命地蔵、そしていくつかの地域で行われていたまわり地蔵です。

板橋の地蔵信仰は、市内では本町付近まで広まっています。「正月と8月23日にお地蔵さんに行くと亡くなった人に似た人に会える」といいます。

また、延命地蔵は、長生きを願う地蔵さんとして、鶴巻・大根・本町付近ではよく知られています。8月23日の縁日には大勢の人で賑います。

まわり地蔵は、子どもが無事に成長することを願って行われ、観音開きの箱に入ったお地蔵さんを地域の講(仲間)の家に次々と回します。お地蔵さんを迎えた家では、お茶・線香・ご飯を供え、さい銭をあげ一晩とめます。そして、翌朝お地蔵さんを背負って次の家に回します。このまわり地蔵のことを「子育て地蔵」、あるいは「一夜地蔵」とも呼んでいます。

このほかに、まわり観音もあります。

 天神講

上大槻に平安時代の菅原道真をまつる菅原神社があります。1月25日の初天神には大勢の人で賑います。

菅原道真は文学に優れ、書道も大変上手でした。道真がなくなった後、天神様としてまつられ学問の神様として信仰されるようになりました。女の子たちを中心とした天神講もおこなわれました。

最近は、受験の神様として広く信仰され、合格を願う受験生が訪れます。

 庚申講

庚申塔

庚申の日(60日に1回)の夜、庚申信仰の仲間が集まって行う講を庚申講といいます。この講の人達によって建てられた庚申塔が市内に137基あります(『秦野の石仏(四)』による)。

講は主に家単位でできていました。親戚でまとまった講もあり、「にわ」という組の単位で組織している所が多いようです。宿となる所は、庚申堂・神社・個人の家などが当てられ、庚申様のかけ軸をかけて、お神酒・もち・あづきがゆなどを供えたりします。

庚申の日は守らなければならないことも多く、宿では眠らずにみなんで一晩語り明かしたそうです。

 地神講

春分の日と秋分の日に最も近い「戊(つちのえ)」の日を社日といい、仲間達が集まり、地神をまつる講を「地神講」とか「社日講」と呼んでいます。

この日は、鍬を洗い、農具を整理整頓する日に定められていて、田畑の仕事を休み感謝や豊作を祈願する日としている地域もあります。

当番の家では、地神のかけ軸を床の間にかけ、春は五穀(米・麦・豆・あわ・きび)の穂を飾って、豊作であるように祈り、秋の社日は、収穫されるラッカセイ・ダイコン・ニンジン・ゴボウ・サトイモ・サツマイモに稲穂を添えて飾りつけます。

 徳本上人

徳本上人の唱える念仏は大勢の人々の信仰され、文化末年(1810年代)には江戸で大評判となりました。

徳本上人は日本の各地を回って念仏を唱え、秦野周辺にも訪れました。

秦野では「トッコンさん」と呼ばれ、多くの人達に親しまれるとともに、トッコン念仏が虫よけの念仏として広く行われていました。

この徳本上人の座像が西地区千村の泉蔵寺にあります。

 稲荷講

白笹稲荷

稲荷信仰は、京都市伏見にある伏見稲荷神社を中心にした信仰です。古くは、大和地方で大変な力を誇った秦氏の神様とされていました。

稲荷様は、昔、日本に初めて稲が入ってきた時、稲の神様である女神がキツネに乗ってやってきたという伝説から田の神様とされています。こうしたことから、キツネの鳴き方によって作物の取れ方を見る所もかなりありました。

また、2月の初午の前後に近所の人々が一軒の家に集まり、お稲荷様をまつってごちそうを食べる稲荷講が、市内ほぼ全域にわたって昔は行われていました。家によっては屋敷稲荷といって自分の庭にお稲荷様をまつり、子どもの夜泣きや風邪などの病気が治るようにお参りする家もあります。毎日、お供え物をして、治ったらそのお礼に今まで以上のお供え物をするのだそうです。

このように生活と神様が深く結びついていました。

 相模の霊場めぐり

千社札

四国のお遍路さんの88か所の巡礼は、有名ですが、この神奈川県にも、観音様33か所参りの信仰があります。

二宮町4か寺、大磯町8か寺、平塚市17か寺、秦野市4か寺です。

秦野市には、30番、31番、32番、33番のお寺があります。順に紹介します。
 

30番=光西寺(下大槻) 

お参りに来た人は、お経を読んで、千社札という札を貼っていきます。寺の山門のところに、今も札が残っています。

31番=観音堂(栄町-本町地区) 

「上宿の観音様」と呼ばれ、安産と子育ての仏様として知られています。本堂には、千手観音といって、たくさんの手を持ち、それぞれの手のひらに眼を持ち、人々の苦しみを救ってくれる観音様が置かれています。8月9日には、「四万八千」と呼ばれる縁日があり、この日にお参りをすれば、四万八千のご利益があるといわれ、露店などの夜店が並び、多くの人で賑います。

32番=今泉村千手院 

明治時代の初めまで、南小学校の西側100メートルほどの所にありました。今は、その場所に小さなお宮があります。このお寺にあった仏像が南地区の太岳院に納められています。

33番=今泉村観音堂 

明治時代の初めまで今泉峰にありました。本尊の11面観音菩薩立像は太岳院に納められていて、市指定の重要文化財になっています。相模の霊場巡り33か所の終わりの観音堂です。

この4つの寺を見てみると、参拝者の多くは、東京の下町、横浜、茅ヶ崎が多いようです。

そして、職業別に見ると、お寿司屋さん・魚屋さん・漁師さんなどの海の幸に関係が多いのが特徴です。

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 生涯学習課 文化財・市史担当
電話番号:0463-87-9581

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