弥生時代
問い合わせ番号:10010-0000-2278 登録日:2014年4月16日
概説
縄文時代に続く弥生時代は、紀元前後2、3世紀の間にありましたが、秦野の弥生時代は、九州や畿内よりも200年遅れて始まったといわれています。
弥生時代は、稲作の開始とともに始まりました。そのため、この時代の人々は農業条件のよいところをめざして、沖積平野へと移動したようです。秦野市内では弥生時代の遺跡が少なく、主として盆地外の大根地区に集中しています。
その1つとして、県立精華園の敷地内から弥生時代の遺跡が発見され、昭和60年から調査が行なわれました。遺跡からは住居趾とともに、方形周溝墓も発掘されています。
また、鶴巻根丸島遺跡の調査はすでに終わっていますが、そこからは弥生時代中期から平安時代ころまでの長い期間の住居趾がたくさん発見されています。その他、弥生時代の遺跡としては、北矢名鉾ノ木、南矢名小南などがあります。
食糧の生産
弥生時代になり稲作が始まったとはいえ、すべてをそれでまかなえませんでした。大部分は採集や狩猟などを行いながら農業生活を営んでいました。農業の収穫物が食糧の主要になるのは、弥生時代後半からです。
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