「広報はだの」で連載

令和7年1月1日に迎える市制施行70周年に向けて、これまでの歩みを全6回でたどります。

第6回 新東名の開通

多数のカラフルな風船が舞う中で、地元の関係者や子どもたちが並んでテープカットを行なっている開通式の記念写真

時代は平成から令和に移り、令和4年4月、新東名高速道路が新秦野インターチェンジまで開通。秦野丹沢スマートインターチェンジの利用も始まり、都心から市域北側表丹沢エリアへのアクセスが向上しました。

「都心から近い山岳・里山アクティビティの聖地」を目指し、新設したはだの丹沢クライミングパークやヤビツ峠レストハウスなどは、訪れた人々が自然を楽しむ交流の場として表丹沢の魅力を伝えています。

水と緑に育まれた秦野市は新たな時代へと歩みを進めています。

第5回 全国植樹祭の開催

雨の中、透明な傘をさしてもらいながら天皇皇后両陛が木製の台に手を添えて植樹を行い、周囲には作業服を着た人々や関係者が見守っている、木造建築を背景にした屋外の植樹式の写真

平成17年、秦野市は市制施行50周年を迎えました。平成19年には、丹沢の自然と触れ合う拠点として「表丹沢野外活動センター」がオープン。翌年、秦野の名水を広めるためにボトルドウォーター「おいしい秦野の水 丹沢の雫」の販売が開始され、秦野の自然を生かした取組みが進められました。

人口が17万人に達した平成21年の翌年5月には、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)をお迎えして第61回全国植樹祭の式典が県立秦野戸川公園で開催されました。両陛下がお手播きされた木々は現在、カルチャーパーク内の記念広場で力強く成長し、市民をはじめとした訪れる人々を温かく迎えています。

第4回 総合体育館オープン

なだらかな芝生の広場とピンク色の花が手前に広がり、奥にはレンガ造りの重厚な外観で、多くの屋根と窓が特徴的な総合体育館を捉えた遠景写真

平成8年、二つのアリーナと武道場などを備えた総合体育館(メタックス体育館はだの)がオープン。市内外のスポーツ大会の会場やスポーツを通じた地域の交流の場として、幅広く利用されている「室内スポーツの殿堂」です。

その後も、平成13年に弘法山公園の展望台がオープンし、中央こども公園(ペコちゃん公園はだの)をリニューアルするなど、今も親しまれる施設が充実していきます。

第3回 まほろば大橋完成

大勢の人が集まる広場の中央に、「祝 まほろば大橋開通記念 駅前通り商店会」と書かれた横断幕が掲げられている、開通記念式典を捉えた白黒写真

昭和63年に人口が15万人を突破した秦野市。新たな工業団地が造られるなど、広域拠点都市として成長していきました。平成元年には、秦野駅北口に「まほろば大橋」が完成。その翌年には、国の「街灯のある街角30選」に選ばれるなど、市の新たなシンボルとなりました。

第2回 秦野中井インターチェンジ開通

「祝 東名高速道路秦野中井インターチェンジ開通」の横断幕の下で、多くの関係者が並び、中央で数人がテープカットを行なっている開通記念の白黒写真

昭和40年代から50年代にかけて高度経済成長などを背景に市内の人口は急増。昭和50年には、人口10万人を突破しました。この頃、市内では新しい小・中学校や中央運動公園、文化会館を建設するなど都市基盤の整備が進みます。

そして、昭和56年4月に東名高速道路の秦野中井インターチェンジが開通。都心まで1時間程度でアクセスできるようになり、市民の利便性向上や商工業の発展に大きな役割を果たしています。

第1回 秦野市の誕生

昭和時代の街並みを背景に、縦長の丸窓が特徴的なルネサンス様式を思わせる洋風の建物が建ち並ぶ道路の様子を、電柱と車も写り込んだ状態で捉えた白黒写真

昭和30年1月1日、秦野町、南秦野町、東秦野村、北秦野村の2町2村が合併し、秦野市が誕生しました。

その後、同年4月には、真田地区と分離した大根村が編入合併。昭和38年1月1日に、西秦野町との合併が実現し、現在の市域ができあがりました。

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