秦野市の読み方は「はだのし」としています。
秦野市は、昭和30年1月1日に秦野町(はだのまち)、南秦野町(みなみはだのまち)、東秦野村(ひがしはだのむら)、北秦野村(きたはだのむら)の2町2村が合併して市となりました。この時の総理府の告示昭和29年12月10日)でも「はだの」とルビがふられ、正式な呼び名となっています。
明治22年の「市制・町村制」による合併時も秦野町を始めそれぞれの東西南北秦野村は「はだの」と表記されています。江戸時代の文献「新編相模国風土記稿」には、秦野盆地一帯を「波多野庄」と呼び「葉駄廼(ハダノ)」と読み方が記載されています。駄はダと読むとされていて、この時代にも、はだのと呼ばれていたと考えられます。また古くは寛永2年(1625年)の『東鑑(あづまかがみ)』や享和3年(1803年)の『香雲寺文書』に書かれた「波多野」に「ハダノ」という振り仮名がつけられています。このように秦野地方は古い時代から「はだの」と呼ばれていたことが解ります。
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