「宮永岳彦記念美術館」では、宮永作品を順次、展示しています。

 より多くの皆様に、この貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「Miyanagaコレクション」と題して、「広報はだの」とともに宮永作品の紹介をしていきます。

ファルーカ

情熱的なオレンジ色の背景に、青と黒の服を着た女性が踊る様子を、躍動感あふれる筆致で描かれた抽象的な絵画作品の写真

解説

 戦後の美術思想の激流のなかで、その時代を巧みに取り込みながらも模索を続けてきた宮永は、50歳を目前にして、自身の芸術への確信と展望を得るモチーフに出会います。

 流れるような線で、情熱的なフラメンコのクライマックスの瞬間を描いた「ファルーカ」。それまで、モダンアートの技法や構図を熱心に研究し取り入れてきた宮永でしたが、次第に動きの表現に関心を抱くようになり、一番動きの激しい舞踊であるフラメンコに着目します。それは、宮永の走るような筆遣いや無駄のない運筆jと相性が良く、本場スペインのダンサーが出演するフラメンコバー『エル・フラメンコ』に通い詰めるほど没頭しました。

 「挿絵の仕事はやめることにしたんだ、純粋に自分だけの絵を描きたい。もう、その時期なんだ。」フラメンコとの出会いで宮永は、業界の寵児として華々しい活躍をしていた出版業界の仕事を整理し、純粋絵画に専念することを決意しました。

令和3年12月1日号解説

道成寺前乱拍子

大胆な筆致と抽象的な背景で、頭に烏帽子を被り、白と金の花柄があしらわれた赤い着物をまといお面を被った男性が刀のようなものを左手に持ち立つ姿を描いた、道成寺の一場面を描いた絵画作品の写真

解説

 日本国中がオリンピックに熱狂した1964年(昭和39年)、宮永は、日本の伝統芸能である能に着目し、『猩々(しょうじょう)』『恋の重荷』『高砂(たかさご)』など能の演目を主題に8点の連作を手がけています。

 今回ご紹介する作品の演目は『道成寺』です。恋い慕う男に裏切られたと思い込んでいる毒蛇と化した女の物語で、女の執念を治めようと道成寺の僧侶たちが祈祷する見せ場では、激しい乱拍子が演じられます。右上に線で表現されているのは鐘。鐘は物語の重要な要素で、女は恨みの炎で鐘の中に隠れた男を鐘ごと焼き殺し、僧侶たちとの闘いでは、鐘に隠れた女が毒蛇となって姿を現します。

 能を表現するに当たって、宮永は、能装束や背景を単純な線や麺で表現し、能の持つ静と動を巧みに象徴しました。また、「油彩画でもって『能』自体の重厚さを出せまいかと思った。」と語った宮永の言葉通り、1950年代以降、様々な作品で試行錯誤を続けてきた重厚な絵肌の象徴が見られます。

令和3年11月15日号掲載

蒼い太陽

白を基調とした建物を背景に複数の人物が描かれており、横たわる人物の上に片足で立ち両手を上げている裸の女性と、その奥で背を向けて肩に人を乗せて運んでいる男性を描いた、荒々しい筆致が特徴的な絵画作品の写真

解説

 1955年(昭和30年)9月、東京国立博物館でメキシコ美術展が開催されました。タマヨ(1896年-1974年)、シケイロス(1896年-1974年)らの荒々しいほどに力強く、人間の存在そのものを問いかける思想性のツイ作品群は、若い画家たちに衝撃を与えました。宮永も、この思潮に敏感に反応し、展覧会の翌年にこの「蒼い太陽」を制作しています。

 宮永が銀座松坂屋に勤め始めたのは、終戦の翌年です。しかし、終戦直後のまだ焼け跡の残る銀座を取材しながら、ただの一度もせんかの傷跡を描いていません。宮永は、初期から晩年にいたるまで、哀しみよりは悦びを、暗よりは明を、醜よりは美を求め続けました。その中で、この作品は、歓喜より悲哀を、そして人間の生と死を問いかけています。戦地から生きて帰った悦びに浸って過ごす日々の中で突如現れたタマヨやシケイロスらの作品が、「人間の生と死」を主題に選ばせたのかもしれません。終戦から11年、宮永37歳の作です。

令和3年10月1日号掲載

海女

背景には海とボートが描かれ、白い頭巾をかぶった女性が座り込んで膝を抱え、奥には着替えている上半身が裸の女性が立つ、浜辺に集う複数人の海女さんが荒々しい筆致で描かれている絵画作品の写真

解説

 簡略化した力強い輪郭で、浜辺に集う海女たちのたくましく生命力に溢れた肉体を描き出した大作、「海女」。戦後、銀座の一角を華やかに彩り、また、都会の街と街を行き交う人々を描いていた宮永が、異質な対象に挑んだ作品です。先史時代や未開部族社会の美術の強烈な本能的造形表現が、モダンアートの巨匠たちに大いなる影響を与えていた時代、宮永もこの作品で、洗練より情熱を重んじ、より単純で素朴なものを希求しています。

 また、その描写も、単なる写実的な描写ではなく、明快な色面の構成とフォルムの省略による抽象表現を採っており、モダニズムの作品として注目されました。

 1950年代、「太陽が昇らぬ日はあっても宮永のポスターを見ない日はない」と言われるほどの活躍をしていた宮永。次々と日本に流入した西洋のモダニズムが、マスコミや美術界に与え続けた刺激に反応し、それを巧みに取り込みました。

令和3年9月1日号掲載

浴する女

床のタイルとレンガの壁を背景に、裸の女性がタオルを入れた洗面器の傍に湯舟に足を入れて座っており、窓から差し込む光が体を照らす様子を描写した写実的な油絵作品の写真

解説

 『浴する女』は、日本画家・小倉遊亀(おぐらゆき)(1895年から2000年)の『浴女』に触発されて描かれたもので、宮永の裸婦を主題とした初めての油彩画です。この作品が描かれた1949年(昭和24年)、宮永30歳、銀座松坂屋の広報宣伝部にあって、ポスターからウィンドウ・ディスプレイと幅広い制作活動に従事していました。

 小倉遊亀は、マティス(1869年から1954年)やピカソ(1881年から1973年)などのモダンアートを研究し、新しい時代の日本画を考案しました。堅実な画面構成と、大胆なデフォルメ、そして抑制のきいた色彩、小倉の芸術的特徴が表れた『浴女』は、若きグラフィックデザイナー、宮永岳彦の琴線に触れました。

 宮永の『浴する女』は、小倉の作風とは異なり、油絵具で力強く描かれ、また、裸婦に降り注ぐ光とその影の表現には晩年の宮永芸術への萌芽が見られます。宮永は、時代の先駆者から受けたインスピレーションを作品に投影しながら、自らの芸術を構築していきました。

令和3年8月1日号掲載

韻<ボッティチェルリ「ビーナス誕生」想>

花冠を頭と腕に飾り、薄い布をまとった女性が大きな白い貝殻の上に立っており、両側にいる2人の女性が取り囲んで布を広げて祝福している、全体が優しく淡い色彩で描かれた「ヴィーナスの誕生」を思わせる絵画作品の写真

解説

 ルネサンスの巨匠ボッティチェリの描いた、大きな帆立貝に乗る、海の泡から誕生したばかりの美と愛の女神ヴィーナスをご存知の方は多いと思います。宮永は、晩年、ヨーロッパの美術館への取材を重ねますが、その中でも、ウフィツィ美術館(フィレンツェ)のボッティチェリの大作に心酔しています。そして、巨匠への共感と称賛を込めて、古典の名画を宮永流のイメージに作り替えて、現代に甦らせようと考えました。

 初々しいヴィーナスと彼女を囲む美しい衣装を纏う2人の美女。宮永のヴィーナスでは、ギリシャ神話の物語の要素は省かれ、女性の美しさを表現することに焦点が絞られています。「私は、美しいものを美しいままに、より美しく、素直にわかりやすく表現することを旨として描き続けている。」

 激動の昭和を、グラフィックデザイナーとして華やかに活躍する一方で、時代や社会から様々な影響を受けながら、自らの画道を究めようと模索を続けてきた画家が辿りついた境地を、是非ご覧ください。

令和3年7月1日号掲載

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文化スポーツ部 文化振興課 文化振興担当
電話番号:0463-86-6309
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