大根地区
原久胤の墓
 原久胤は1792年<寛政4>に下大槻に生まれ、人生の大半を江戸で過ごした。名は和輔といった。江戸では名の知れた国学者であり、すぐれた歌人でもあった。晩年は妻の看病でしばらく実家に戻ったが、江戸で没した。そのため、法名は修学院歌静耀道(かせいようどう)居士、久遠(くおん)院契月日胤(けいげつにちいん)信士の2つある。弘化元年<1844>は、12月2日に改元されている。

大根地区「弘法山周辺」内「原久胤歌碑」参照)