東地区
宮永岳彦の
アトリエ
 宮永画伯は、1919年<大正8>に静岡県で生まれ、名古屋市立工芸学校で学んだ。2度の兵役後、父方の実家である秦野に帰った。1946年<昭和21>から15年間にわたり、松坂屋銀座店の宣伝部に勤務しながら、東秦野村名古木のアトリエで創作活動を続けた。当時の作品には、銀座で見かける女性の風俗を描いたものが多い。
 また、市内には、文化会館の大・小ホールの緞帳(どんちょう)、中央運動公園のブロンズ像「健康の泉」のデザイン、秦野たばこ祭のポスターなど、多くの作品が今も残されている。

大根地区「宮永岳彦美術館」参照