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古墳時代

問い合わせ番号:10010-0000-2273 更新日:2014年4月16日

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 概説

古墳時代は、畿内を中心に考えると3世紀後半から4世紀初めにかけて始まり、7世紀後半には終わったと考えられています。この時代には、大和政権が確立され、その権力が次第に地方へ浸透していきました。それとともに、古墳の築造が地方へひろまっていきました。南関東では、4世紀後半の古墳が最も古く、畿内よりも約1世紀遅れています。

秦野市とその周辺の遺跡を見ると、古墳時代前・中期は平塚よりの沖積平野の自然低湿地を中心に住居がひろがっていました。古墳時代後期以後は、次第に金目川沿いにさかのぼって秦野にむかって人々が移動しました。その原因としては、農業の発達により人口が増加し、新しい住居地を求めたため、さらに農業技術の進歩によりかんがい設備が整い、山あいの土地でも農業が行えるようになったという2つの要因が考えられています。こうして秦野盆地内の開拓が、この時代の人々によって進められました。

 二子塚古墳

二子塚古墳は、昭和45年の日本住宅公団下大槻団地造成にともない墳丘規模が調査されました。この古墳は下大槻団地の東南端にあります。全長46メートル、自然丘陵を利用した雄大な前方後円墳です。

墳形や周溝から発見された土器から6世紀末ころの築造であることがわかっています。また、この古墳の周辺には、たくさんの横穴墓があり、広畑古墳群とともに、このあたり一帯が墓域として利用されていたようです。

平成20年度から実施された第二次調査では、銀装圭頭大刀が出土し注目されています。

 桜土手古墳群

この古墳群は、秦野盆地の西部、堀山下にあり、水無川の南側に位置しています。

この場所は昭和49年から発掘調査が行われ、東西約500メートル、南北約300メートルの間に35基の古墳が分布していることが分かりました。

しかしこの地域は工場用地として利用されることになっていたため、現在では23基が埋め立てられ、残りの12基については市の重要史跡に指定され、古墳公園として永久に保存されることになっています。

このページに関する問い合わせ先

所属課室:市民部 生涯学習文化振興課 文化財・市史担当
電話番号:0463-87-9581

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