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はだの浮世絵コレクション【2024年1月~】

問い合わせ番号:17028-5751-2577 更新日:2024年6月1日

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 「はだの浮世絵ギャラリー」では、秦野市が寄贈を受けた浮世絵1,904点を順次、展示しています。

 より多くの皆様に、この浮世絵という貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「はだの浮世絵コレクション」と題して、浮世絵作品紹介をしています。

「江戸名所百人美女 人形町」三代歌川豊国

江戸名所百人美女 人形町

解説

 「江戸名所百人美女」は、江戸後期の浮世絵界をけん引した三代歌川豊国が70歳頃に手掛けた集大成で、年齢や既婚・未婚、職業、身分などにより様々な美女を描き分けました。

 画面左上部に添えられているコマ絵は、美しい容姿にあやかってか、当時人気の女方・瀬川菊之丞の定紋・結綿(ゆいわた)や菊の花模様などが白く抜かれた紺地の暖簾がかかっている「人形町」にある化粧品店です。

 江戸時代には、白い肌、口紅の赤、眉やお歯黒の黒の三色が化粧の基本で、色白の肌が江戸美人の第一条件とされていました。

 じっくりと、「寿々女香(すずめこう)」と書かれた白粉(おしろい)の袋を眺めている若い美女の姿は、化粧やファッションを楽しむ現代の女性と変わらないように見えます。

「千葉 小錦八十吉」玉波

千葉 小錦八十吉

解説

 相撲の取り組みや力士を描いた相撲絵は、役者絵と同じようにスターのブロマイドのような存在であり、多くの絵師が手掛けました。

 元々は神事であった相撲ですが、江戸時代には庶民にも親しまれる娯楽となりました。寺社の造営・修復費用を捻出するための勧進相撲は、多くの群衆が押し寄せ大盛況でした。現代と同じように幟(のぼり)が立ち、土俵もつくられ、開催場所には二階席、三階席もある大がかりな仮設小屋が建てられました。

 この作品の絵師は、明治の相撲絵で活躍した玉波です。力士は千葉出身の初代小錦八十吉で、小さい体ではるかに大きな相手を素早く倒し、横綱として活躍した小錦の浮世絵は数多く出版され大人気だったそうです。

※広報はだの令和6年5月1日号に掲載。

「(纏持)勇の寿」月岡芳年

解説

 「勇の寿」は、町火消に扮した役者を描いた七枚の揃物で、火事が頻繁に発生した江戸では、火の粉がかかっても逃げずに纏(まとい)を振り続ける纏持(まといもち)は、ヒーローでした。町火消には持ち場があり、それぞれ組によって違う半纏(はんてん)を身に着け目印としていましたが、その持ち場をめぐって争いがおこることもありました。

ここに描かれているのは、明治の歌舞伎界で九代目市川団十郎と共に「団・菊」と並び称された四代目市村家橘、のちの五代目尾上菊五郎です。真っ赤な背景に大きな纏のデザインは、纏持の姿をより一層ひきたてています。

ひょいと手拭い(てぬぐい)をかけて、杯(さかずき)を持つ粋なしぐさを江戸っ子も真似したのではないでしょうか。

 

「春夜の御遊」三代歌川豊国

解説

 『源氏物語』は平安時代に紫式部が執筆したものですが、この作品は「源氏絵」と呼ばれるもので、元になっているのは江戸時代後期の草双紙(絵入りの小説本)『紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』で、『源氏物語』を柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が翻案したものです。

『偐紫田舎源氏』は、歌川国貞(後の三代歌川豊国)が挿絵をつけ、文政12年(1829年)から38編が刊行される大ベストセラーとなりました。主人公は「光源氏」ではなく、足利義正の息子「足利光氏」という設定で、物語の名場面を浮世絵にするのが流行しました。

この作品では、琴や横笛、琵琶などの楽器を演奏する姿が描かれています。春の夜に「梅見の宴」のひと時を優雅に楽しんでいる様子がうかがわれます。

 

「雪月花 近江 石山秋の月 紫式部」楊洲周延

解説

 幕末から明治にかけて活躍した絵師・楊洲周延の「雪月花」シリーズは、それぞれの画題が雪は雪の結晶、月は丸、花は桜の枠の中に記されています。

この作品は平安時代に紫式部が石山寺へ参詣し、滞在中に中秋の名月を見て『源氏物語』を思いついたという伝説の場面で、石山寺から月を眺めている美しい立ち姿の紫式部を描いています。

長く黒い髪に真っ白な顔。おでこには太い眉が描かれ、小さく赤い唇は、まさに平安時代の美人の姿そのものです。赤い袴はひざ下が長く中宮晃子に仕えた文才のある女官としての気品も感じられます。

 

「若紫源氏絵合 漂澪」三代歌川豊国

解説

 この作品には、画面に金粉や金箔を散らしたような「砂子摺(すなごずり)」という技法が用いられ、細かい彫りと摺りが合わさった豪華な造りとなっています。

右上には、和歌が詠まれた二枚貝が描かれていますが、貝を用いた風流な遊びと和歌が結びついて上の句と下の句を組み合わせる「歌かるた」となったとされています。

貝を使った「貝合せ」や「貝覆い」という遊びは、二枚貝の貝殻を二つに分け、片方は全部伏せて並べ、他方を1つずつ取り出し、貝殻の外側の色や文様によって一枚の貝を引き当てるというものです。

江戸時代には、二枚貝は同一のものしか合わないことから、和合と貞節の象徴として貝覆いの調度品は、重要な嫁入り道具となりました。大名の息女の婚礼には、『源氏物語』などの場面を内側に美しく描いた貝を入れた、金蒔絵が施された豪華な貝桶が用意されました。

※広報はだの令和6年1月1日号掲載

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 文化振興課 文化振興担当
電話番号:0463-86-6309

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