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Miyanagaコレクション

問い合わせ番号:16225-1153-4950 更新日:2022年8月1日

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 「宮永岳彦記念美術館」では、宮永作品を順次、展示しています。

 より多くの皆様に、この貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「Miyanagaコレクション」と題して、「広報はだの」とともに宮永作品の紹介をしていきます。

家の光

ienohikari

解説

 この作品はJAグループ(農業協同組合)の家庭雑誌『家の光』の挿絵です。木製のたらいに置かれた石臼と、それをほのかに照らす電球が水墨画で描かれています。

 「たまゆら 昭和を想う」では、同雑誌の挿絵を他にも3点展示しており、チャンバラ時代劇に扮した素人演芸会の様子を描いたのれん、稲藁焼きをして煙がたちのぼっている風景、たくさんの樽などが並んだ農家の土間が墨の濃淡のみで表現されています。いずれも人々の会話、煙の匂い、生活音などが感じられ、何気ない昭和の暮らしをほのぼのと描いています。

 宮永は、1949年に挿絵界にデビューすると好評を得、多い時には新聞や雑誌など月に30本の仕事を抱えていました。「挿絵には挿絵の美学がある。」と画家としての強い意志を持って制作に当たり、1963年44歳の時には第4回講談社挿絵賞を受賞しています。

令和4年8月1日号掲載

テナーサックスによる日本流行歌史第2集

解説

 この作品は、昭和初期の歌を集めたレコードジャケットの原画です。日本はこの時期、恐慌、不景気、戦争の勃発と鬱屈としており、その反動でカフェやダンスホールが急増しました。そんな世相を反映するように、古賀政男の『酒は涙か溜息か』は大ヒットしました。

 着物にエプロン姿の女性はカフェの女給と思われます。流行に敏感な宮永は、いち早く大正ロマンから昭和モダンのファッションを取り入れ、ふわりとパーマを施した髪型にイヤリングという粋な女性を描きました。

 また、女性の魅惑的なまなざしと、微かに歯の見えるふっくらとした唇から、女性の色気を目と口で表現した宮永の特徴がうかがえます。そして背景のカラフルな絵具のぼかしは、華やかな反面、混沌としたこの時代の複雑さを漂わせ、独特な世界観を演出しています。

令和4年7月1日号掲載

日本シリーズ 大洋-大毎

解説

 1960年(昭和35年)に川崎球場で開催された第11回日本シリーズのポスターです。ヘッドスライディングする選手が勢いのあるタッチで描かれていて、躍動感あふれる宮永らしい1枚です。

 銀座松坂屋百貨店の宣伝部に所属するデザイナーとして画業をスタートさせた宮永は、包装紙、ディスプレイやポスターなどの商業デザインを精力的に手掛けました。モダンな構図や色彩、しっかりとした絵画技術に基づく美しいイラストレーションは人々の注目を集めていきます。

 日本シリーズのポスターが制作された当時、宮永はグラフィックデザイナーとして商業美術界を代表する存在となっていました。特にポスターは企業や観光など様々な分野も手掛け、「太陽の昇らぬ日はあっても宮永のポスターを見ない日はない」と評されるほどでした。

令和4年6月1日号掲載

初夏の装ひ

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解説

 「初夏の装ひ」が描かれた昭和26年はサロン・ド・メに本店、ピカソ展、ルノアール展など、海外の同時代作家や20世紀の巨匠たちの作品が次々と日本に上陸しています。西欧の近現代美術作品の展示が盛んになることにより、日本の画家たちに多大な影響を与えました。

 宮永も当時の美術思潮に敏感に反応し、「ヨーロッパのモダニズム」への傾向がこの作品からうかがえます。女性の来ている白いスーツの省略された描き方、横に置かれた観葉植物の濃いグリーンのコントラストを強調した配色など、平面的な表現からモダニズムの特徴が見て取れます。

 新しい表現を模索し、巧みにそれを取り込んで、ファッショナブルで洗練された都会の女性を描き、またその内面の優雅さや気品も感じさせる、宮永独自の才がここに見られます。

令和4年5月1日号掲載

解説

 古典的な異国の衣装を纏ったエキゾチックな顔立ちの女性たちというその独特なモチーフで描く宮永の美人画は、古今東西の美人画の中でも異彩を放っています。
 
 1970年代、グラフィックデザインの仕事に区切りをつけ、油彩画に専念するようになった宮永は、油彩画で異国情緒溢れる王朝ロマン的な雰囲気を表現しようと試みます。そして、その作品は、奇しくも、経済成長を遂げ、豊かになった日本人の健やかな夢や憧れとシンクロし、その豪華さ華やかさは描くほどに増し、ドラマチックなものになっていきました。

 「饗」は、1984年の作品で、金泥を施した背景、豪華絢爛な衣装の女性たちが鳩と戯れるドラマチックな情景が、宮永晩年の美人画の特徴とともに、高揚する昭和という時代を表しています。

令和4年4月1日号掲載

Invitation to screen and popular music

解説

 高度経済成長期(1955年から1975年頃)に入り、豊かになった日本人の生活に家でレコード鑑賞をするライフスタイルが定着すると、宮永は数多くのレコードジャケットも手掛けました。

 上は映画「マイフェアレディ」、下は「昼下がりの情事」のオードリーヘップバーンです。彼女のかぶった華やかな帽子やチェロを演奏する描写に、映画のワンシーンが浮かび、流れていた音楽が聞こえてくるような臨場感があります。宮永が「目と口、ここに色気が出る」と語っているとおり、オードリーヘップバーンの艶やかで気品あふれる表情に魅了され、遠い昔の思い出が蘇ります。宮永は、ポスターや表紙画で培った技量で女優や歌手をクールでスタイリッシュに美しく描きました。

 宮永の代名詞である美人画とは趣の異なる画風に宮永の振幅の広さと多才な一面がうかがえる作品です。

令和4年3月1日号掲載

鹿鳴館 翔

解説

 油彩画に専念し、<民族衣装シリーズ>に取り組んだ宮永でしたが、幸運な出会いに導かれてその世界を軽やかに展開させます。

 まずモデルとの出会いがありました。衣装やモデルを探して各国大使館を廻る中で、キャロルというアメリカ人女性と巡り会い、強いインスピレーションを受け、モデルに起用するようになります。さらに、キャロルに似合う衣装を探しているときに偶然鑑賞した三島由紀夫の舞台『鹿鳴館』の衣装に閃くものを感じた宮永は、豪華絢爛な衣装を纏った異国の女性像の<鹿鳴館シリーズ>を手掛けるようになります。

 「鹿鳴館 翔」は、<鹿鳴館シリーズ>の作品の一つで、古典的なアプローチでありながら、レンブラント的な明暗に宮永特有の瑞々しい女性美があふれ、その美しさは見る者を魅了します。

令和4年2月15日号掲載

YUGOSLAVIA 宴

宴のサムネイル画像

解説

 グラフィックデザインの仕事を整理し油彩画に専念するようになった宮永は、フラメンコの連作から一転、ヨーロッパの民族衣装や時代衣装を纏った美しい異国の女性像を古典的な技法で描くようになります。

 「流行はすぐに古くなる。流行に左右されないコスチュームはと考えた時、歴史の中で生き続けてきた民族衣装なら永遠に古くならない。」ヨーロッパの民族衣装という着想を得た宮永は、各国大使館を廻り、衣装とモデルを探します。これまで培ってきたモードへの敏感な感性を封印し、悠久の美への新たな一歩を踏み出しました。

 この作品のモデルは、日本で英語教師をしていたアメリカ人女性キャロル・マクレーン。彼女の逆光に輝くブロンドの紙、美しい肌に強いインスピレーションを感じた宮永は、キャロルが帰国するまでの5年間、彼女をモデルに描き続けました。

令和4年1月1日号掲載

ファルーカ

ファルーカのサムネイル画像

解説

 戦後の美術思想の激流のなかで、その時代を巧みに取り込みながらも模索を続けてきた宮永は、50歳を目前にして、自身の芸術への確信と展望を得るモチーフに出会います。

 流れるような線で、情熱的なフラメンコのクライマックスの瞬間を描いた「ファルーカ」。それまで、モダンアートの技法や構図を熱心に研究し取り入れてきた宮永でしたが、次第に動きの表現に関心を抱くようになり、一番動きの激しい舞踊であるフラメンコに着目します。それは、宮永の走るような筆遣いや無駄のない運筆jと相性が良く、本場スペインのダンサーが出演するフラメンコバー『エル・フラメンコ』に通い詰めるほど没頭しました。

 「挿絵の仕事はやめることにしたんだ、純粋に自分だけの絵を描きたい。もう、その時期なんだ。」フラメンコとの出会いで宮永は、業界の寵児として華々しい活躍をしていた出版業界の仕事を整理し、純粋絵画に専念することを決意しました。

令和3年12月1日号解説

道成寺前乱拍子

道成寺前乱拍子のサムネイル画像

解説

 日本国中がオリンピックに熱狂した1964年(昭和39年)、宮永は、日本の伝統芸能である能に着目し、『猩々(しょうじょう)』『恋の重荷』『高砂(たかさご)』など能の演目を主題に8点の連作を手がけています。

 今回ご紹介する作品の演目は『道成寺』です。恋い慕う男に裏切られたと思い込んでいる毒蛇と化した女の物語で、女の執念を治めようと道成寺の僧侶たちが祈祷する見せ場では、激しい乱拍子が演じられます。右上に線で表現されているのは鐘。鐘は物語の重要な要素で、女は恨みの炎で鐘の中に隠れた男を鐘ごと焼き殺し、僧侶たちとの闘いでは、鐘に隠れた女が毒蛇となって姿を現します。

 能を表現するに当たって、宮永は、能装束や背景を単純な線や麺で表現し、能の持つ静と動を巧みに象徴しました。また、「油彩画でもって『能』自体の重厚さを出せまいかと思った。」と語った宮永の言葉通り、1950年代以降、様々な作品で試行錯誤を続けてきた重厚な絵肌の象徴が見られます。

令和3年11月15日号掲載

蒼い太陽

蒼い太陽のサムネイル画像

解説

 1955年(昭和30年)9月、東京国立博物館でメキシコ美術展が開催されました。タマヨ(1896年-1974年)、シケイロス(1896年-1974年)らの荒々しいほどに力強く、人間の存在そのものを問いかける思想性のツイ作品群は、若い画家たちに衝撃を与えました。宮永も、この思潮に敏感に反応し、展覧会の翌年にこの「蒼い太陽」を制作しています。

 宮永が銀座松坂屋に勤め始めたのは、終戦の翌年です。しかし、終戦直後のまだ焼け跡の残る銀座を取材しながら、ただの一度もせんかの傷跡を描いていません。宮永は、初期から晩年にいたるまで、哀しみよりは悦びを、暗よりは明を、醜よりは美を求め続けました。その中で、この作品は、歓喜より悲哀を、そして人間の生と死を問いかけています。戦地から生きて帰った悦びに浸って過ごす日々の中で突如現れたタマヨやシケイロスらの作品が、「人間の生と死」を主題に選ばせたのかもしれません。終戦から11年、宮永37歳の作です。

令和3年10月1日号掲載

海女

海女のサムネイル画像

解説

 簡略化した力強い輪郭で、浜辺に集う海女たちのたくましく生命力に溢れた肉体を描き出した大作、「海女」。戦後、銀座の一角を華やかに彩り、また、都会の街と街を行き交う人々を描いていた宮永が、異質な対象に挑んだ作品です。先史時代や未開部族社会の美術の強烈な本能的造形表現が、モダンアートの巨匠たちに大いなる影響を与えていた時代、宮永もこの作品で、洗練より情熱を重んじ、より単純で素朴なものを希求しています。

 また、その描写も、単なる写実的な描写ではなく、明快な色面の構成とフォルムの省略による抽象表現を採っており、モダニズムの作品として注目されました。
 
 1950年代、「太陽が昇らぬ日はあっても宮永のポスターを見ない日はない」と言われるほどの活躍をしていた宮永。次々と日本に流入した西洋のモダニズムが、マスコミや美術界に与え続けた刺激に反応し、それを巧みに取り込みました。

令和3年9月1日号掲載

浴する女

浴する女のサムネイル画像

解説

 『浴する女』は、日本画家・小倉遊亀(おぐらゆき)(1895年から2000年)の『浴女』に触発されて描かれたもので、宮永の裸婦を主題とした初めての油彩画です。この作品が描かれた1949年(昭和24年)、宮永30歳、銀座松坂屋の広報宣伝部にあって、ポスターからウィンドウ・ディスプレイと幅広い制作活動に従事していました。

 小倉遊亀は、マティス(1869年から1954年)やピカソ(1881年から1973年)などのモダンアートを研究し、新しい時代の日本画を考案しました。堅実な画面構成と、大胆なデフォルメ、そして抑制のきいた色彩、小倉の芸術的特徴が表れた『浴女』は、若きグラフィックデザイナー、宮永岳彦の琴線に触れました。

 宮永の『浴する女』は、小倉の作風とは異なり、油絵具で力強く描かれ、また、裸婦に降り注ぐ光とその影の表現には晩年の宮永芸術への萌芽が見られます。宮永は、時代の先駆者から受けたインスピレーションを作品に投影しながら、自らの芸術を構築していきました。

令和3年8月1日号掲載

韻<ボッティチェルリ「ビーナス誕生」想>

いん

解説

 ルネサンスの巨匠ボッティチェリの描いた、大きな帆立貝に乗る、海の泡から誕生したばかりの美と愛の女神ヴィーナスをご存知の方は多いと思います。宮永は、晩年、ヨーロッパの美術館への取材を重ねますが、その中でも、ウフィツィ美術館(フィレンツェ)のボッティチェリの大作に心酔しています。そして、巨匠への共感と称賛を込めて、古典の名画を宮永流のイメージに作り替えて、現代に甦らせようと考えました。

 初々しいヴィーナスと彼女を囲む美しい衣装を纏う2人の美女。宮永のヴィーナスでは、ギリシャ神話の物語の要素は省かれ、女性の美しさを表現することに焦点が絞られています。「私は、美しいものを美しいままに、より美しく、素直にわかりやすく表現することを旨として描き続けている。」

 激動の昭和を、グラフィックデザイナーとして華やかに活躍する一方で、時代や社会から様々な影響を受けながら、自らの画道を究めようと模索を続けてきた画家が辿りついた境地を、是非ご覧ください。

令和3年7月1日号掲載

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 文化振興課 文化交流担当
電話番号:0463-86-6309

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