震生湖
問い合わせ番号:16173-2091-5315 登録日:2021年4月2日
国の登録記念物
「震生湖」が国登録記念物(動物、植物及び地質鉱物関係)に登録されました。
登録日
令和3年3月26日
登録対象物
名称
震生湖(しんせいこ)
所在
秦野市今泉字釜窪1228番1ほか
所有者
秦野市ほか
登録面積
秦野市分 21,034.71平方メートル
中井町分 11,504.00平方メートル
特徴等
震生湖は、大正12年(1923)9月1日の関東地震により、斜面が幅約250メートルにわたって地すべりを起こし、滑落した土砂が河道を閉塞して生じた堰止湖です。ここでは、震災から100年近く経過しても「湖面」「崩落地」「堰止地」が確認できます。当時、地震による崩壊地が多数生じましたが現存するものは希有です。
震生湖を誕生させた地すべりの内部構造について、京都大学防災研究所が平成27年(2015)に行ったボーリング調査では、地表から17m程度の深さにある約6.6万年前に堆積した東京軽石層にすべり面があり、その上部の火山灰土と火砕流堆積物がすべったものであることが明らかになっています。
震生湖は形成直後から専門家による調査研究がなされており、地元有志によって災害直後の大正13年(1924)に「震生湖」との名がつけられ、地震災害の鎮魂の場所や風光明媚な観光地として利用が継続されてきました。
昭和5年(1930)9月には7日と12日の2度にわたって東京帝国大学地震研究所の寺田寅彦らの測量がなされるなど注目されてきました。寺田らの調査は、「秦野に於ける山崩」として『東京大学地震研究所彙報』第10号第1冊に報告されています。
寺田は地球物理学者ですが夏目漱石門下の文学者としての一面も持っており、震生湖を訪れた際に「山裂けて 成しける池や 水すまし」、「穂芒や 地震に裂けたる 山の腹」、「そば陸稲 丸う山越す 秋の風」という俳句を詠んでいます。湖面近くに「山裂けて」の句碑がありますが、これは昭和30年(1955)9月1日に建碑されたもので、寺田と同門で無二の親友であった小宮豊隆の揮毫によるものです。
「穂芒や」の句碑は平成7年(1995)2月に本町小学校、「そば陸稲」の句碑は令和4年(2022)9月に湖北西の台地上にある「大震災埋没者供養塔」の脇に建碑されています。
また、近年では市民による里山保全地としての管理も始まっています。これらは、災害による地形をほとんど改変することなく、利活用が進められています。
以上により、震生湖は関東大地震によって誕生した「現存する堰止湖」として地震による地形変化の規模の大きさを今日に伝える意義深い例であるとともに、自然災害と人々の関わりを考える上で貴重な資料ともいえます。
このページに関する問い合わせ先
所属課室:文化スポーツ部 生涯学習課 文化財・市史担当
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