平成28年(2016年) 広報はだの10月1日号 2面 キャンバスは無限大!姉妹のアート 右の写真をご覧いただきたい。─お分かりいただけただろうか。地に足を付けずに階段を上る少女の姿を。もちろん、幽霊ではない。  「2階の自分の部屋へ行くときに、いつも姉妹そろってやるんですよ」  お母さんが苦笑いしながら見つめるのは、姉の岡部千紘さんと妹の陽菜さん(渋沢小5年・4年)。手すりにつかまりながら器用に登る姿は、素人目にもクライマーの風格を感じさせる。きっかけは、千紘さんが1年生のときに、沢登りが好きなおじいちゃんとインターネットを見ていたときだった。  「自分よりも小さい子供が、岩場でクライミングをしている写真を見て、びっくりした。すごくやってみたくなった」  元々高いところが大好きだった千紘さん。すぐに横浜にあるボルダリングのジムに通い始め、メキメキと上達。そんな姉の姿に憧れた陽菜さんも、後を追うように入会した。  「クラスが分かれるから普段の練習は別々だけど、終わった後に二人で登るコースを作り合って、練習したりもします」 とはにかむ陽菜さん。練習には、いつも滑り止めのマイチョークを持参。クラスは女子の方が多く、一見みんな華奢(きゃしゃ)だが、手のひらを見るとタコでゴツゴツ。力こぶも男子顔負けだ。  「この間、テレビ番組でプロクライマーがコンビニ内の壁などをクライミングしながら買い物していて、私もしたくなりました(笑)」 と千紘さん。そんな根っからのクライマーな二人は昨年11月、県立山岳スポーツセンター(秦野戸川公園内)で開催された県大会「キッズクライミングカップ」に挑戦。初出場にも関わらず、トップロープの部で千紘さんは優勝、陽菜さんも5位に入賞し、姉妹そろって表彰された。  「屋外の本格的な施設は初めてだったから、いつもより岩が遠く感じて難しかった。でも、達成感があって楽しかった」  その体験が忘れられない二人は、今年の8月に同センターで開催された「夏休み体験教室」に参加した。  「コーチの人に、『この二人は、つま先を上手に使っていて理想的な登り方』ってみんなの前で褒められた。すごくうれしかった」  そのコーチに勧められ、10月からは、この施設で活動する「神奈川ジュニアスポーツクライミングクラブ」に入会することになった。  「昔は二人とも消極的だったのに、自分の意見をはっきり言うようになったりと、積極的になった。クライミングさまさまですね」 と目を細めるお母さん。東京五輪の競技になるかどうかのときは、家族みんなでソワソワしていたとか。  「プロは、遠い岩をギリギリでつかむ」「ジャンプしてつかむ『ランジ』の幅もすごいよね」  今からオリンピック選手の活躍が楽しみな二人。この姉妹が世界中の子供たちにそう思われる日だって、そう遠くないかもしれない。 ▲タコとチョークまみれの手がクライマーの証し ▲体が逆さになっても難なく登る陽菜さん ▲受賞に笑顔の千紘さん(右)と陽菜さん(左) 小さな手に託した自己表現 時は遡ること、37年前。まだ、クライミングが「過酷な岩登り」というイメージしかなかった頃、一人のクライマーが、全国に自分の名と競技の存在を知らしめた。  「当時は、今みたいにカラフルな人工岩じゃなくて、武骨な天然の岩場。しかも、重さ5㎏のザックを背負って上を目指したんですよ」  30歳のときの自分の写真を見つめながら懐かしげに話すのは、東昭一さん(66歳・藤沢市)。当時、国民体育大会で「岩登り競技」が初開催され、東さんはその年と翌年の大会で見事優勝。国体2連覇を果たした県内の選手は、いまだに彼だけだ。  「私の後を継いで活躍する県内の選手を、ずっと待っているんです」  競技から身を引き、社会人生活を送るさなかも、その思いは心の片隅に残されていた。そんな東さんの転機は、平成10年の「かながわ・ゆめ国体」の開催。県内が会場になったことで、高さ15mの本格的なクライミングウォールを備えた県立山岳スポーツセンターが市内に誕生した。  「まさに夢の施設。この先、多くの人に使ってもらえれば、自分の長年の願いも叶(かな)うと思いました」  まずは「子供が楽しめるスポーツ」にしよう。そう決心した東さんは、定年後にセンターの職員になると、指導者ライセンスを取得。年4回の親子体験教室を始めた。  「小学生以下は、ライセンスを持つ大人がいないと施設を使用できないんです。最近は、親がライセンスを取って親子で練習する家族もいます。うれしい限りです」  若手選手の育成にも本腰を入れる東さん。施設の利用者にコーチの協力を仰ぎ、昨年4月には、小学3年~中学生を対象とする「神奈川ジュニアスポーツクライミングクラブ」を設立。最近は、室内で気軽に楽しめるボルダリングジムが増えてきたため、そこで基礎を学んだ子供たちのステップアップの場とした。  「子供には『登りたい』という本能が備わっている。垂直競技のスポーツが少ないのも、人気が高まっている理由かもしれないですね」 と東さん。指導のモットーは「指導をしないこと」と微笑む。技術などは教えても、文字通り指で進むべき先を導いたりはしないということだ。  「技術や体格に合わせて、自分だけの道筋を考え、描いてほしい。他のスポーツにはない達成感が、そこにはある。『自分と向き合う』競技なので、例えば発達障害を持つ子供も取り組みやすいんです」  体操と同じように体幹と身軽さがものをいうクライミングは、日本人向きだと東さんは期待を込める。  「中学・高校生でも世界で活躍できる競技。世界大会でも日本人選手は優勝しているし、東京五輪では、きっとメダルを取れますよ」  来年は、県内初の地区大会「秦野大会」を開催したいと余念のない東さん。自分の夢を描いていてくれる子供たちのため、東さんは今日も新たなキャンバスを作り続ける。 ▲指導者ライセンスを持つ大人が、今後の普及の鍵 ▲県立山岳スポーツセンターの屋外クライミングウォール ▲第34回国民体育大会(宮崎県)で初開催の岩登り競技に挑戦した東さんと仲間