姉妹都市とは
問い合わせ番号:10010-0000-1953 登録日:2015年2月6日
第二次世界大戦後のヨーロッパの荒廃は目を覆うものがあり、諸国民は廃墟の中、日夜復興に励んでいました。
このようなとき、「ヨーロッパを救おう」という声がアメリカ国民の中から盛りあがり、まず、アメリカのニューヨーク州ダンケルクの市民が、同名であるフランスのダンケルク市民に手紙や贈り物を通じて温かい友情の手を差し伸べると、次々にゆかりの深い欧米の都市が姉妹都市関係を結び、援助と感謝の交歓を行いました。
これが都市提携の始まりです。
最初、ヨーロッパに限られていたこの運動は、その国際親善、文化交流、相互理解に果たす意義の大きさが認められて、やがて中南米からアジアへと広がっていきました。
さらに、1956年(昭和31年)には、アメリカのアイゼンハワー大統領が大々的に都市提携運動「People to People Program」(市民から市民への交流計画)を提唱したことにより、この運動はさらに普及することとなりました。
日本では、1955年(昭和30年)12月に、長崎とアメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市との間に姉妹都市の縁組が成立したのが最初で、その後全国各地に急速に広がりました。
姉妹都市提携の持つ最大の意義は、異なる歴史と社会環境を持つ2つの都市の市民が、人種、風俗、習慣、宗教等の相違を越えて、国家間の外交とは別に、独自の立場で手を握り合うことです。
そして、文化、教育、科学、経済等あらゆる分野の交流を通じて相互理解を深め、尊敬と友情の絆を強めることで、平和を願う世界の人々に友好の輪を広げ、過去における戦争の惨禍を再び繰り返さないという人類永遠の悲願達成のための重要な役割を担っています。
提携までの経過
1963年(昭和38年)4月、アメリカ・バプテスト教会の訪日牧師団の一員として派遣されたJ・D・ハーバード牧師が本市の大秦野バプテスト教会(川上直之牧師)を訪れた際、パサデナ市長からの親書を秦野市長に手渡したことが姉妹都市提携のきっかけとなりました。翌1964年(昭和39年)7月、パサデナ市を訪問した川上牧師にパサデナ市長から名誉市民の称号と市の鍵が贈られるとともに、秦野市との姉妹都市提携が提案され、同年9月に秦野市議会において議決。同年11月パサデナ市議会で正式に議決され、姉妹都市提携が実現しました。
1964年(昭和39年)9月29日 秦野市議会で議決
1964年(昭和39年)11月17日 パサデナ市議会で議決
以来、市民の手によって、訪問団の相互派遣や中学生及び教職員の視察、英語指導助手の招へいなど、様々な交流が進められ、市民相互の「友情」と「理解」という無形の成果を上げています。
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