西地区
 米倉氏は、甲斐国(かいのくに)<山梨県>の出身で、祖先は武田氏の家臣であったが、武田家滅亡後は徳川家康に仕えた。4代永時(ながとき)の時に堀山下村に知行地200石を賜(たまわ)った。その孫昌尹(まさただ)は1690年<元禄3>丹後守に任ぜられ、1696年に大名となり役職も若年寄に就いた。昌尹は将軍綱吉による四谷・中野普請<犬小屋普請>奉行を務めた。また、1699年<元禄12>には堀山下、菩提、羽根、東・西田原、渋沢、堀沼城村などを支配地とする1万5千石に加増された。蔵林寺には、米倉氏初代から15代までの当主の墓と一族、家老塚がある。記録では5代政継(まさつぐ)と6代昌尹が蔵林寺に葬(ほうむ)られた。1968年<昭和43>に秦野市の史跡に指定され、4月の「丹沢まつり」には米倉丹後守の大名行列が行われる。
米倉丹後守
(よねくらたんごのかみ)
一族の墓