西地区
 峠地域の人々は、昭和の初めまで、渋沢丘陵の急な坂道を越えて往来していた。その頃の西秦野村には、尋常高等渋沢小学校と同じく堀小学校があり、1921年<大正10>校名だけが尋常高等西秦野小学校と統一されていた。1927年<昭和2>に小学校統一校舎建設が決定されると、子ども達は曲松にあった渋沢小学校より、さらに遠くまで通学しなければならなくなった。そこで、地域の発展と児童愛護のため1928年に着工し、総経費2万2千円をかけ、1932年<昭和7>6月に長さ約217mの隧道を完成させた。その記念碑が隧道近くにある。その後、1971年<昭和46>に改修され歩道ができた。
峠隧道(とうげずいどう)と
隧道記念碑