西地区
 今から約800年もの昔、この寺を開いた住職は、源実朝に仕えた人でたいへん徳が高かった。村人たちは貴僧と呼び、寺も貴僧寺と呼んでいたという。その後、天正期<1573〜92>に西田原の香雲寺6世が再興し、喜叟寺と改名した。この寺には、室町時代中期頃の作で寄木造りの釈迦如来(しゃかにょらい)像がある。また、1874年<明治7>1月から1878年<明治11>まで渋沢村第142番小学渋沢学校が開かれ、渋沢・千村・栃窪の子どもが通学していた。参道は、早春の古木(こぼく)が放つ梅の花の香りとその美しさが見事である。
喜叟寺
(きそうじ)