北地区
須賀(すが)神社
 江戸時代は住吉社と呼ばれ、羽根村の鎮守(ちんじゅ)だった。戦国時代の永正年間<1504〜21>造営(めい)の棟札(むなふだ)が保存されている。1873年<明治6>に牛頭天王(ごずてんのう)社をあわせて須賀神社となった。須賀神社には、1801年<享和元>に大山<伊勢原市>に住んでいた宮大工の明王太郎信景(のぶかげ)が建造した神輿(みこし)があり、1846年<弘化3>には、孫弟子の景元(かげもと)が大修理を行っている。当時の神主が両社を兼務していたので、神輿の正面には牛頭天王社の祭神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、背面の小壁には住吉社の祭神である大渡津見之命(おおわたつみのみこと)が彫刻してあり、須賀神社の特色となっている。また、神社の境内(けいだい)にはタブノキとケヤキが合体して1本の木のようになっている樹木も見られる。