北地区
花鳥神社
 江戸時代は菩提村の鎮守(ちんじゅ)であり三<御>嶽社と呼んだ。江戸時代初期の1650年<慶安3>造営の棟札(むなふだ)が保存されており、古くからの鎮守であったことを知らせる。明治時代初期の神仏分離の際に、社の場所が「加丁」という地名だったので花鳥神社と改称した。同時に、地名の文字も変更したという。神輿(みこし)は、1818年<文政元>と1983年<昭和58>に新造した2基がある。