北地区
定源寺
(じょうげんじ)
 香雲寺4世によって戦国時代末に開かれた。1649年<慶安2>に徳川家光から寺領13石の朱印を受けている。風格ある寺であったとされるが、1850年<嘉永3>に全焼した。現在の本堂は、1929年<昭和4>の再建である。太平洋戦争末期に横浜市金沢区の六浦(むつうら)国民学校が集団疎開をしていた。定源寺には江戸の士族で菩提に移り住み、渡辺清尹(きよただ)と改名した人の筆子塚がある。渡辺は1873年<明治6>に菩提学校の教員となり、以後、1909年<明治42>まで砥河(とかわ)学校、尋常高等北秦野小学校の教師をした。墓石の台座には筆子49人の名前が刻まれている。