上地区
 古くは比叡山末の慈眼寺と称し、鎌倉時代初期から天台宗の寺であった。天台宗は真言宗と共に山岳信仰と結びつき、修験道(しゅげんどう)のもととなった。そのため観音院は、塔ノ岳との関わりが多い寺である。戦国時代の1558年<永禄元>に、金沢<三廻部>という所から砂金が見つかり、一時鉱夫などが大勢集まって檀家(だんか)数も増えたため、寺もそこへ移されたが、しばらくして元の地に戻ったという。1571年<元亀2>に寺の僧が、織田信長の比叡山焼き討ちの際に赴援(ふえん)し、討ち死にして以来、寺は荒廃(こうはい)した。1662年<寛文2>に上野<東京都>の寛永寺末として再興され、現在に至っている。
観音院
(かんのんいん)