上地区
不動堂
 江戸時代には本堂や庫裡(くり)を持つ天台宗の不動院があった。明治時代に火災で焼失し、今は不動堂だけが竹林の中にひっそりとたたずんでいる。戦国時代の後北条氏は、竹林を保護していたという。不動堂には1809年<文化6>の棟札(むなふだ)があり、柳川に住んでいた宮大工、長山金吾矩稠(のりしげ)の名が記されている。本尊(ほんぞん)は体の真っ白な珍しい不動尊である。この白体不動は、鎌倉時代に曾我兄弟が、父の仇を討つために、祈願に通ったといわれる。兄の曽我十郎が不動尊に捧げた願文(がんもん)は、三廻部の観音院に納められている。