本町地区
曽屋神社
 江戸時代には井明(いみょう)神社と呼ばれていたが、1873年〈明治6〉に村内の他の6社と合わせて、郷社曽屋神社となった。境内には忠魂碑と共に護国神社も建立されている。曽屋水道完成までは、曽屋神社の湧水を曽屋と大道(だいどう)に流して生活用水としていた。境内(けいだい)には現在も清水が湧き出ている。曽屋の神輿(みこし)は、大山〈伊勢原市〉に住んでいた宮大工の明王太郎敏景(としかげ)が建造した平塚市の前鳥(さきとり)神社神輿を、1861年〈文久元〉に弟子の景元(かげもと)が仲介して、曽屋村に譲られたものである。大祭日には、その神輿と1919年〈大正8〉に明王太郎景尭(かげたか)が新造した乳牛の神輿が出る。