本町地区
龍門寺
(りゅうもんじ)
 龍門寺は、1591年〈天正19〉に徳川家康から寺領5石(こく)の朱印を受けている。その墓域(ぼいき)には、1848年〈嘉永元〉に、54歳で亡くなった岡田正司の筆子塚がある。越後藩士だったが、浪人となって曽屋村に住み、妙相寺で寺子屋を開いた。門人200余人が師匠のために建てた墓である。また、元町に塾を開いた亀井愛水〈溝呂木守道〉は、1869年〈明治2〉に龍門寺に塾を移し、修身館と称した。1873年〈明治6〉に修身館は公学と認められ、第154番小学の初代校長となった。本町小学校の前身となった修身館は、1877年〈明治10〉に火災で焼失してしまった。当時の生徒数は、男子185名、女子82名と伝えられている。龍門寺には、曽屋水道の功労者である梶山良助の墓もある。