本町地区
安居院庄七翁頌徳碑
 本町小学校玄関の西側に、高さ3m程の碑がある。この碑は、安居院(あぐい)庄七の功績を讃(たた)え、1919年〈大正8〉に建てられたものである。庄七は1789年〈寛政元〉に蓑毛の神成(しんじょう)家の次男として生まれ、曽屋村十日市場の雑穀荒物屋(ざっこくあらものや)をしていた安居院家の養子となった。1842年〈天保13〉54歳の時に、下野国(しもつけのくに)〈栃木県〉桜町陣屋に居た二宮尊徳を訪ねた。面会はできなかったが、仕法等を学んだ。その後、尊徳の教えを伝え広めるために大阪まで旅をし、59歳の時、浜松地方を中心に報徳社を創立した。1863年〈文久3〉75歳の生涯を閉じた。墓は、浜松市の浄土宗・玄忠寺にあり、秦野市元町の妙相寺が安居院家の菩提寺である。