東地区
源実朝公
(みなもとのさねともこう)
  御首塚(みしるしづか)
田原(たわら)ふるさと公園
源実朝公御首塚

 鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で3代将軍の実朝は、1219年<建保7>に鶴岡八幡宮参拝の帰りに、甥の公暁(くぎょう)に殺された。公暁は実朝の御首(みしるし)を持って三浦氏を頼っていく途中、返って三浦義村の家来に殺されてしまった。三浦氏の家来の一人、武常晴が実朝の御首を得て、それを隠し持ち、この地に埋葬した。当初の五輪塔は木造であったが、1250年<建長2>に波多野忠綱が金剛寺を再興した時、石造に代えたと言われる。木造の五輪塔は、現在、鎌倉市の国宝館に展示されている。また御首塚の近くには、歌人として有名だった実朝の歌碑がある。「金槐(きんかい)和歌集」の中の一首で、「物いはぬ四方(よも)のけだものすらだにも あはれなるかなや親の子を思ふ」とあり、実朝の研究家でもある歌人・佐佐木綱信(つなのぶ)の揮毫(きごう)である。秦野郷土文化会の活動により、1960年<昭和35>に秦野市が建立(こんりゅう)した。


田原ふるさと公園

 地域農業の活性化を図り、人々の憩いの場とすることを願って、平成12年に整備された。ふるさと伝承館の中では、秦野地場産の「そば」を味わうことができ、農産物直売センターもある。敷地内には粉をひく水車小屋も併設されている。