東地区
御師(おし)の里
 大山は古くから信仰を集めた山で、江戸時代、山頂の石尊社(せきそんしゃ)<現:阿夫利神社>と中腹の大山寺(だいさんじ)が信仰の中心となっていた。御師とは、大山参詣の人々を大山へ案内する先導師で、大山信仰を布教し、家は宿も兼ねていた。蓑毛の御師は、南関東一帯に檀家(だんか)をもっていたが、特に伊豆、駿河方面からの参詣者が多かった。一方、伊勢原の大山御師は、江戸方面からの参詣(さんけい)者を中心に先導していた。蓑毛の御師集落は、1986年<昭和61>度「かながわのまちなみ100選」に選ばれたが、その風情を残す家は少なくなった。灯籠(とうろう)は1860年<万延元>のもので往時がしのばれる。江戸時代の作家・十返舎一九は、三島から箱根を経て大山(もうで)をする二人旅を『諸国道中金草鞋(かねのわらじ)』という作品に表している。その道順は、曽我から猪の江<中井町>を経て、十日市場(現在の曽屋)に出、蓑毛から大山に向かうコースとなっている。