東地区
大藤氏の墓
 <香雲寺>
 香雲寺は、1564年<永禄7>に大藤(おおふじ)政信が羽根村の春窓院を移して再興したものである。大藤氏は「北波多野」一帯を所領とし、戦国大名後北条氏の足軽大将・中郡(なかごおり)郡代として活躍した。本堂裏山の中腹に、大藤氏の2つの墓がある。左側は不明だが、右側が大藤政信の墓であり、寺には政信の位牌(いはい)もある。1590年<天正18>豊臣秀吉の小田原城攻めの際に、大藤長門守の守備した相州田原の城が、東方の堀ノ内にあったという。香雲寺(こううんじ)は、1591年<天正19>に徳川家康から寺領5石の朱印を受けている。境内(けいだい)の鐘は、1629年<寛永6>の鋳造(ちゅうぞう)で、「大藤秀信」の名が記された古いものである。