東地区
木食(もくじき)
光西(こうさい)上人
入寂(にゅうじゃく)の地
 江戸時代、ききんに苦しむ農民を仏教の力で救済しようとした光西上人は、大日堂に大般若経(だいはんにゃきょう)600巻を写経して奉納(ほうのう)した。そして、荒れていた大日堂の修理1729年<享保14>に行った後、この場所に穴を掘って生きながら仏となったのである。遺言により200年後の1935年<昭和10>に発掘されたが、遺骨は埋め戻された。