東地区
金剛寺
 金剛寺は、もともと小寺であったが、鎌倉時代に武常晴(つねはる)が3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに始まると言われている。退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪塔を建て実朝の供養(くよう)をした。その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めた。1250年<建長2>に、波多野忠綱(ただつな)が実朝の33回忌のため再興している。本堂には、源実朝像が安置されている。また、金剛寺には筆子塚がある。筆子塚とは、寺子屋や塾を開いていた師匠の業績をしのんで、教え子たちが建立(こんりゅう)した墓である。1820年<文政3>筆学入門の弟子47名の建立によるこの筆子塚は、金剛寺25世瑞峯應(ずいほういん)のものである。