東地区
柏木幹太(みきた)
の歌碑
柏木林道
 柏木幹太の林道開発における業績への思いが新たにされた1958年<昭和33>秦野郷土文化会の呼びかけにより、歌碑と隣接して顕彰碑(けんしょうひ)が建立(こんりゅう)された。歌碑には、「この山の ひとつをぬきて生きがひの ややにありとは みづからもおもふ」と刻まれている。
 蓑毛橋から金目川沿いにヤビツ峠へ向かって登っていくと常夜灯がある。この常夜灯は1804年<文化元>造立で、右は大山道、左が柏木林道である。この林道を完成させた柏木幹太は、父の米吉と共に蓑毛の林道整備に努力した。秦野町から蓑毛に至る県道や丹沢林道<県道秦野津久井線>実現のため、県に陳情(ちんじょう)を繰り返した。同時に、私財を投じて1932年<昭和7>に完成させたのが、幅2m、全長2,412mの柏木林道である。幹太は1942年に52歳で生涯を閉じた。