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あらまし

問い合わせ番号:10010-0000-4148 登録日:2012年2月7日

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昔の人々の生活は、今とは大変違っていました。

今のように物が豊かではなかったので、例えば、着る物でも上の子が着たお古を順に下の子にまわしたり、傘などは家族みんなの分が無かったりしたので、雨がふると1本の傘に兄弟2人ずつが入って学校に行きました。雪が降ると大変でした。長靴を履いている子はなく、雪道を下駄を履いて歩くため転びながら登校しました。中には、裸足で登校した子どももいました。

弁当の時間になると、弁当の代わりに、サトイモやおやき(うどん粉を練って焼いたもの)など、ふところに入れて持って行った子、それさえ持って行けない子は、家に帰り簡単な昼ご飯を食べました。昔は、兄弟姉妹が多かったので、学校に弟や妹を背負って行く子もいました。

今は、病気になっても、すぐ病院に行けますが、昔は町や村に医者が少なく、中にはいない所もありました。医者がいても、医者にかかれる人は少なく、病気になると、自分で何とか治そうと、腹の痛い時はセンブリ(薬草)を煎じたり、ちょっとの切り傷はヨモギをもんでつけたりしました。また、おじいさんやおばあさんの経験を頼ることもあり、例えば、腹が冷えたときは米ぬかを袋に入れて腹を温めたりしました。そのほかに、家には富山の薬が置いてあり、年に数回背負って持って来る人がいました。

住まいは、農家のほとんどがわらぶき屋根で、そのふきかえの時は、隣組の人みんなが出て協同で作業をしました。

このようなことは、戦後十数年まで続いていたようです。

秦野の民俗に関する本

  • 『ひょっくりいも~民俗学へのおさそい』
  • 『民俗調査報告書1丹沢山麓の講集団』
  • 『民俗調査報告書2秦野地方のことば』
  • 『民俗調査報告書3御師の村』
  • 『民俗調査報告書4丹沢山麓の村』
  • 『民俗調査報告書5盆地の村』
  • 『秦野市史別巻民俗編』
  • 『山ふところの民俗誌』
  • 『江戸の参詣講』
  • 『秦野市文化財調査報告書2秦野の石仏(一)~(四)』
  • 『秦野市文化財調査報告書6秦野の絵馬と奉納額』
  • 『秦野市文化財調査報告書7秦野の暮らしと民具』

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 生涯学習課 文化財・市史担当
電話番号:0463-87-9581

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