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「秦野市」の読み方

問い合わせ番号:10010-0000-4143 更新日:2012年2月15日

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秦野市の読み方は「はだのし」としています。

秦野市は、昭和30年1月1日に秦野町(はだのまち)、南秦野町(みなみはだのまち)、東秦野村(ひがしはだのむら)、北秦野村(きたはだのむら)の2町2村が合併して市となりました。この時の総理府の告示昭和29年12月10日)でも「はだの」とルビがふられ、正式な呼び名となっています。

明治22年の「市制・町村制」による合併時も秦野町を始めそれぞれの東西南北秦野村は「はだの」と表記されています。江戸時代の文献「新編相模国風土記稿」には、秦野盆地一帯を「波多野庄」と呼び「葉駄廼(ハダノ)」と読み方が記載されています。駄はダと読むとされていて、この時代にも、はだのと呼ばれていたと考えられます。また古くは寛永2年(1625年)の『東鑑(あづまかがみ)』や享和3年(1803年)の『香雲寺文書』に書かれた「波多野」に「ハダノ」という振り仮名がつけられています。このように秦野地方は古い時代から「はだの」と呼ばれていたことが解ります。

ちなみに、「秦」の読み方については、いろいろ研究されています。本居宣長(モトオリノリナガ)は「はだ」と読む説をとっています。

新撰姓氏録山城国諸藩(シンセンショウジロクヤマシロノクニショハン)の秦忌寸(ハタノイミキ)の条に「仁徳天皇の御世に、姓を賜わりて波陀(はだ)という。今の秦の字の訓なり。」また、古語拾遺の太秦(うずまさ)の説話を述べた箇所に、「貢る所の絹、綿、肌虜に軟かし、故に秦の字を訓みてこれを波陀という」とあるからでしょう。この古語拾遺の記述について宣長は、「若しこれらの義ならば温或は軟の言を取りてこそ名くべけれ、肌という言を取るべき由なり 新井氏(白石)もこの説を信じて波陀は韓国の語なりといえり」と言っています。

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