◯9月1日号3面 3 平成27年(2015年)9月1日 広報はだの 耕作者の慰労会から 誰もが楽しめる祭りに  市内の産業の中心は工業へと変わり、古くからのタバコ耕作者は減っていきました。たばこ祭も耕作者の慰労会という意味合いから、さまざまな年齢層が楽しめる行事になっていきました。 「たばこ祭」の名前が変わる?  1970年代半ば、全国的にたばこが健康に有害だと言われ、市を代表する祭りにこの名前を使っていいものかという議論に。  しかし、「今の秦野があるのは、タバコ耕作が300年以上も地域経済を支えたから」、「タバコの耕作技術が花の生産に受け継がれている」などの意見がありました。1982年(昭和57年)の市民アンケートでも名前の継続が支持され、先人が注いだ情熱と知恵を後世に伝えていくために、「たばこ祭」という名前を使い続けていくことになりました。 1972 (昭和47年) 第25回 子供や若者向けのイベントが登場  子供向けの怪獣ショーや若者向けのバンド演奏などが盛り込まれるように。怪獣ショーは、観客の目の前で迫力ある戦いが繰り広げられることもありました。 ステージで怪獣と戦うことも 収まることのない人気  この頃は来場者が10万人を超え、第28回から市役所前の道路が歩行者天国になりました。 1977 (昭和52年) 第30回 「ミス秦野」が祭りをPR  第35回まで、「ミス秦野」を一般募集し、3人を選出。たばこ祭のパレードに出演するほか、秦野代表として市外に出掛けたり、イベントに参加したりしました。 「ミス秦野」に選ばれた3人 1984 (昭和59年) たばこ耕作 終了 第40回 市民の手で秦野を誇れるスタイルに  地域の存在そのものをアピールしようと、たばこ祭検討委員会を組織しました。市内の木材と手作りの縄を使った「ジャンボ火起こし綱引きコンテスト」を新たに開催し、参加者が力を合わせて火を起こして、みんなの願いをかなえる「弘法の火祭」の種火に使いました。  また、たばこ祭のテーマを「たばこ」と縁のある「火」とし、今も引き継がれているキャッチフレーズ「炎が舞い、光が奏でる」が誕生しました。 個性で魅力アップ  当時は「一村一品」運動が盛んでした。秦野ならではのイベントをつくろうと、秦野青年会議所と一緒に試行錯誤し、ジャンボ火起こし綱引きコンテストを開催。第63回からは、秦野産ヒノキで作られた火起こし器を使っています。 市役所駐車場が会場だった 1988 (昭和63年) 第41回 幻となった「たばこ祭」  9月に昭和天皇が入院され、全国でイベントなどを自粛する風潮になり、たばこ祭の中止を決定しました。祭りの準備が整い、関係団体の招待や、パンフレットを配布する直前のことでした。 1989 (平成元年) 1990 (平成2年) 1992 (平成4年) 2006 (平成18年) 2007 (平成19年) イベントがめじろ押し  地域を超えたイベントなどが増え、さらに充実した内容になりました。 第42回  姉妹都市・諏訪市から御諏訪太鼓などを招待 第43回  本市出身の演歌歌手・服部浩子さんを招待。以来、毎年芸能人を招く「たばこ祭ステージ」に 第45回  手品などの大道芸をする「まほろば大橋シ ョー」を開催 第59回  学生たちが自主的に企画運営する「はだのよさこい踊り」が誕生 第60回  東北三大祭の青森ねぶた。引き手やハネトには、市民が参加 大道芸に興味深々 毎年人気の青森ねぶた 2014 (平成26年) 2015 (平成27年) 市制施行 60周年 第67回 市制施行60周年を前に  秦野にゆかりのあるアーティスト・坂井泉水さんがボーカルを務めるZARDの楽曲に合わせて、花火を打ち上げました。また、露店のサービスや装飾などを競う露店王グランプリを実施。約340店舗の中から来場者がスマートフ ォンなどで投票して決定しました。 グランプリで入賞した露店