◯4面・5面 広報はだの 平成26年(2014年)9月1日 4 5 平成26年(2014年)9月1日 ひと × 自然 誰もが親しめる山に 「山をきれいに」思いはひとつ  「今日は目立ったごみはなかったね」「生い茂った葉が覆いかぶさって、車道が半分になってしまうくらいだったよ」強い日差しが照りつける夏の日、掃除をする「弘法山をきれいにする会」の会員。南矢名方面、曽屋方面など、それぞれが通ってきた道の状況を話しながら手を動かす。  「会員のうち、誰かしらが毎日掃除をしているよ。たくさんの人が気持ちよく山を歩けるように、いつも情報交換しているんだ。」  穏やかな口調で話すのは、代表の三橋俊彦さん(79歳・本町二)。  弘法山をきれいにする会は、平成17年、市の公園などを市民の手で管理する「公園里親制度」に登録するため、結成された。現在、59歳から81歳までの57人の会員が、約6万坪もの面積を持つ弘法山公園の美化に努めている。会員の3割以上は、何年も前から自主的に活動していたため、顔なじみのメンバーだ。会の発足前後で変わることなく、それぞれが自由に活動している。会則を作らず、会費も取らない。役員もいない。清掃区域の担当も割り振っていない。「ナイナイづくしの会」だと三橋さんは笑う。しかし、弘法山に愛着を持ち、きれいにしたいという思いはみんなが持っている。どんな団体よりも強い愛が「ある」。 人が集う公園を目指して  今では気軽に景色を楽しめるハイキングコースとして紹介される弘法山公園だが、以前は全く別物のようだった。  「目を覆いたくなるほど汚かった。運び出すのが大変な大きい椅子が放ってあったり、空き缶や弁当のごみが散らばっていたり。頑丈に設置された標識が割られてしまったこともあったよ。怖かったね」  うっそうとした雰囲気で、地元の人でさえ近寄りたくない山だったと、三橋さんはいう。多くの人が自然を楽しめる、にぎやかな山にしたいと強く願い、ごみ拾いを始め、現在も仲間と続けている。  転んでけがをしたこともあったが、痛みを我慢しながら掃除を続け、不法投棄の処理も行った。布団や椅子などを片付けるため、車で、山とごみ処理場を何度も往復した。  当初、一週間で大きなビニール袋10枚以上も集まったごみの量が、日々の活動で、最近ではその3分の1までに減った。不法投棄もほとんど見られない。ごみを探しながら歩くようだと、三橋さんは笑う。  弘法山へよく散歩に出掛けるという森広子さん(64歳・曽屋)は、  「山頂へ行くまでのいろんな道からごみを拾ってくれるんですよ。どこを歩いてもきれい。季節ごとに咲く花が、いっそう鮮やかに見えます」  休日には山道がハイカーでにぎわうと、うれしそうに話す。 楽しみが活動の継続に  明るい声が響く弘法山の頂上。掃除をしている会員に、散歩やウオーキングで通りかかった市民が、足を止めて、笑顔で話し掛ける。  「山ではみんな友達だよ。掃除や見回りで登るけど、みんなと話す時間が一番の楽しみ」 と話すのは、正重勤さん(75歳・南矢名)。けがのリハビリのために弘法山に登り、片手間に始めた掃除だったが、朝の仲間との語らいで、一日を気持ちよく過ごせるという。今では三橋さんと連絡を取りながら、ほぼ毎日、公園一帯へ足を運ぶ。  毎日歩いていると、危険な場所や自然の変化にすぐ気付く。正重さんは、南矢名から弘法山へ続く道で人が転ばないように、会員と協力して、間伐材を使って段差を作った。しっかりと固定された手製の階段は、通行する人を安全に迎え入れる。冬になると霜が溶け、地面がぬかるみ危険なため、会員みんなで男坂や女坂の階段に木片のチップを敷き詰めた。また、景色のよい場所や登山道の途中などで休憩できるように、20カ所に、ベンチを設置した。  「ごみを拾っていて「ありがとう」と言われるとうれしい。特にベンチは、観光客に喜ばれてね。もちろん私たちもほっとできる場所なんだ」  三橋さんらは、誰もが快適に利用できる公園づくりを心掛けている。  「初対面の人もあいさつしてくれる。中には、掃除仲間になる人もいるよ。みんなの愛情が、山のきれいにつながっている」  多くの人が弘法山を身近に感じ、足を運んでくれるよう、弘法山をきれいにする会は、これからも楽しみながら活動を続けていく。 権現山山頂へ続く階段の掃除をする会員 情報交換を大切にしている三橋さん 仲間との会話を楽しむ正重さん(中央) 手製の階段を安心して歩く女性たち ひと×発信 伝えたいのは「愛」と「夢」! 熱き秦野の市民メディア ココハダ=情報の玄関に 子供のような大人で 「人をつなぐ」発信を  8月初めの夜の秦野駅。仕事帰りのサラリーマンが行き交うロータリーの一角に集まる、大人たちの姿。暑気払いの飲み会だろうか。しかし皆、何やら色鮮やかな冊子の束を抱えて、話をしている。  「それぞれ担当の店に配布したら、電話で連絡を取り合おう」  そう話すと、皆一目散に車で出発。彼らが手にしていたのは、秦野の魅力を紹介するフリーマガジン。中を開くと、秦野のローカルなおすすめスポットやイベントなどが、にぎやかなタッチで紹介されている。  「秦野は緑豊かで水もおいしい。観光名所だってある。でも、まだ知られていない良さがたくさんあると思うんです」 と話すのは、田上貴之さん(31歳・尾尻)。「ココから秦野」、略して「ココハダ」の代表を務める、若き発起人だ。この団体の始まりは、駅前の居酒屋での雑談だった。  「そこの店長さんと、秦野にはまだまだ活気が足りないねって話をしていたら、「秦野にはフリーマガジンがない」って気付いたんですよ。それなら一緒に作っちゃおうかって。自分たちならではの目線でまちの姿を引き出して、「ココを見れば秦野が分かる」ものにしようって考えたんです」  ひょんなことから、飲み仲間も交えた4人でトントン拍子に発足したココハダ。その勢いで協賛店舗を募って発行に必要な広告費を集め、去年8月には第1号を1万部発行。現在は20歳から72歳まで、19人のメンバーが参加し、今回で4号目の発行にこぎつけた。  この日、彼らが向かったのはフリーマガジンを置く市内の協賛店舗。最新号を笑顔で出迎えたのは、大秦町にある接骨院の鈴木院長。  「記事を見ながら、こんなに面白い場所やお店がこのまちにあったのかと、毎回びっくりしています。最近は、フリーマガジンを見て来てくれたお客様もいますよ」  彼らが作るフリーマガジンが、新たな発見を広めていく。  このフリーマガジン、秦野を盛り上げている人を「ココハダー」と呼び、毎号紹介するのが面白いところ。今回のココハダーは、鬼ごっこを現代風にアレンジし、大人も子供も運動を楽しめる「スポーツ鬼ごっこ」の普及を目指す、太田雅文さん(46歳・堀西)。  「こうして身近な人に広めてもらえると、心強いです。それに彼らは、実際に参加して一緒に盛り上げてくれるんですよ」  なるほど、地域の人ならではの魅力を感じる。  「ココハダは、体当たり取材がモットーですから」  そう語るのは、取材を担当した小桧山茂雄さん(37歳)。記事を書き終えた今も、休日のイベントに参加し、子供と汗を流している。  「このまちに足りなかったのは、大人が全力で楽しむ場だと気付かされ、たくさんの人に伝えたくなりました」  個々のメンバーが取材した原稿は、打ち合わせやインターネットを通じて何度も校正され、最終的に2人の編集担当が形にしているという。そのうちの1人が、72歳の絵師、「しろひげ」こと門脇信夫さんだ。  「元々ただの飲み仲間だったんだけど、同じ秦野好きと思ってくれてたんだろうね。急に一緒にやろうって誘われて。若者がキラキラした目をして言うもんだから、やってみようかなって」  そんな門脇さんが、1人で担当しているページがある。それが、「秦野未来予想図」。建築デザイナーだ った経験とスケッチの腕前を生かして、「秦野駅前の温泉テーマパーク化」や「弘法山公園のツリーハウス」など、自分の望むまちの未来を自由気ままに描いている。  「これが実現するかどうかは二の次なんです。一番の願いは、これを見た人が「自分だったらこうしたい」と考えてくれること。それがまちの元気につながりますから」 そのまっすぐな瞳は、まるで少年のようにキラキラしていた。  ココハダはフリーマガジンだけでなく、動画の撮影も手掛けていて、インターネット上で配信している。その中心人物が、田上さんとココハダ発足のきっかけを作った居酒屋の店長、通称「あかがみじろう」さん(42歳)。登場人物にアニメキャラの格好をさせるなどして笑いを誘いながら、おすすめスポットを紹介する。  「受け手の心にスッと入りやすい情報は、やっぱり動画。紙面で伝えきれない部分は、こうして別のメディアで補えばいい」  商店街のイベントなどにも、ビデオカメラ片手に積極的に足を運ぶ。先月3日に東海大学前駅の駅前広場で開かれた夏祭りでは、若手音楽プロデューサー、望月翔太さん(22歳・ひばりヶ丘)が束ねるグループ「Canon」のライブが会場を盛り上げていた。その中で響き渡ったのは、秦野への思いをバラードにのせたオリジナル曲「ココから秦野」。  「初めは、自分の住むまちで活動したいと思っても、居場所が全然なかった。そんなとき、ココハダの人たちが楽曲の作成を依頼してくれて、紙面や動画で一生懸命PRしてくれたんです。びっくりしましたよ。ああ、こんなに熱い大人もいるんだなって」  望月さんの強い感謝の言葉。その気持ちに触れ、あかがみじろうさんも自分たちの役割を実感する。  「ココハダが大きくなるよりも、つながりを増やしていくことが、まちの魅力を伝える最高の手段。そのために、今後もさまざまな形で情報発信をすることが必要だと感じています」  田上さんも、活動への思いを新たにする。  「活動を応援してくれる人もいる反面、営利目的と勘違いされてしまったり、時には「自己満足じゃないの」と言う声を聞いたりもします。まちの魅力だけじゃなく、自分たちの活動の意味もしっかり伝えていかないといけませんね」  いつか「FM秦野」を作ってラジオでの情報発信もしたいと、笑顔で野望を語る田上さん。今後、彼らが「ココから」何を発信してくれるのか、熱い心を持った市民メディアに期待したい。  今年5月、全国の半数以上の自治体が、約30年後には消滅する可能性があると発表され、話題となりました。本市は該当しませんでしたが、決して楽観できる状況ではありません。  しかし今回、さまざまな団体を取材し、多くの市民の方の話を聞いて、秦野には希望があると感じました。確かに、課題はありますが、それ以上の「市民力」が秦野にはありました。活動する分野や、取り組みは異なりますが、秦野を元気にしたいという思いは同じです。  何かを始めるのは大変で、面倒なものです。でも、少しだけ考えてみてください。どうすれば自分たちのまちを、よりよくできるのかを。それが、秦野を元気にする第一歩につながります。 全ては、ココから始まった ココハダを立ち上げた、あかがみじろうさん(左)と田上貴之さん(右) 夢の「秦野未来予想図」を描く門脇さん そびえ立つ駅前の鳥居が、夢の入口