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秦野の商業の歴史

問い合わせ番号:10010-0000-1186 登録日:2019年5月27日

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秦野では、江戸時代から、近郷の住民によって十日市場が曽屋村の中央(現在の本町四ツ角付近)に開かれ、毎月1と6のつく日にたばこの取り引きや肥料の販売など周辺の有力な経済活動の拠点となっていました。後に全国の三大銘葉(国分・水府・秦野葉)となり、秦野葉たばこの栽培と密接な関係が結ばれました。この地を中心として商業が発展し、現在の市街地形成をなしたといわれています。

秦野の商業1

明治以後には、本町四ツ角を中心として、四方に分かれた隣村に通じる道筋に、菓子屋、乾物屋、荒物屋、傘屋、呉服屋、下駄屋、小間物屋、肉屋、洋服屋、薬屋、電気屋といった商店が並ぶようになりました。現在でも古い軒並みの店舗が見受けられます。

秦野の商業2

秦野市の近代化への歩みは、明治22年4月の市制・町村制の施行によって秦野町、南秦野村、東秦野村、北秦野村、大根村、西秦野村、そして上秦野村の誕生に続き、同39年全国初の簡易鉄道となった湘南馬車鉄道の開通や、全国初の陶管水道の給水開始などによって着実に進められてきました。

商業の町としての要素は、大正時代に青物市場の開設などに見られます。大正5年に町営電気事業の営業開始、昭和に入って同2年小田急の開通など近代化施策で都市化が進み、商業活動が活発になりました。

また、商業としての基盤は、本町四ツ角周辺や小田急沿線の秦野駅、渋沢駅、東海大学前駅、鶴巻温泉駅を中心に発達してきましたが、昭和40年代になると市内に大型店が出店し、さらには自動車の普及により郊外にも駐車場が完備された店舗が増加するなど、現在は、中心市街地の空洞化が進んでいます。そのため、快適な住宅地やまちの顔となる商業地などをバランス良く配置・整備しながら、調和の取れた総合的な市街地整備を進めていくこととしています。 

このページに関する問い合わせ先

所属課室:環境産業部 産業振興課 商業振興担当
電話番号:0463-82-9646

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